達人の館

   本物の芸をじっくりと味う、大人のためのコンサートを企画・主催しています。

18()、3年ぶりに淀まで出かけて行こうと思っています。
私の馬友、松浦茂さんが京都に来て拙宅に泊まってくれると言うので
すっかりその気になったのです。
思えばキタサンブッラックが春の天皇賞を取った時
ご一緒して以来久々の機会になります。

あの頃は毎週のように淀に通い元気一杯でした。
しかし病に倒れてからは嘘のように競馬場から遠ざかっていたのです。
松浦さんは昨年は大相撲に誘ってくれ、
今年は競馬場行きの機会を作ってくれました。
私を元気づけようとしてくれている優しい気持ちが伝わってきて、
30歳近く若い息子を持った父親のような気分です。
私には3人の娘がいますが、
息子はいないので余計そう感じるのかもしれませんね。
マークシートのつけ方も不安になっている私ですが、
馬券はほとんど買わずに馬たちの元気な走りを応援してくるつもりです。
これで体力に自信がついたら、
仕事もしっかりやろうと意欲が沸いてきました。
松浦さん元気をくれてありがとう!!
3月には大相撲見物もしようと約束していますので、楽しみです。

*

アメリカとイランの対立があわや戦争になるかと心配されましたが
何とか回避されました。
核が拡散されている現代において、一度、戦争が始まれば
それは人類滅亡の危機にさらされるきかっけとなることでしょう。
世の中の仕組みがどんどん変わっていく未来を救うのは、
平和を願う若い人たちの叡智です。
地球を大切にしようとする人たち、
お互いの人間性を尊重しようとする人たちが
協力しあって仲良くなっていって欲しいものです。

例えばゴーンさんが30億円を恵まれない人たちへ
寄付するようなことが行われれば世の中少しは変わっていくでしょうね。
それをきっかけに世界中の富豪が資産を分け与えるような出来事が起こる……
なんてことはありえないでしょうが、
これを実行する人が出てきたら歴史に残る偉人になります。
その権利を持っている人たちは何人もいるのに、残念ですね。

(音楽・演劇プロデューサー   橘市郎)

 

新年が明けて、もう日あっという間に過ぎました。
無事に年を越せたことを感謝したいと思います。
いろいろなことがあっても、今現在、元気でいられることを
ありがたいと思わなくてはいけない年齢になったのですね。
今年は毎日毎日をとにかく前向きに歩んでゆくつもりです。
年寄りの愚痴くらいに思ってお付き合いいただけたらうれしいです。

*

さて昨年、書なかったのですが、
1225日に突然「桂坂古墳の森」に行ってみようと思いたちました。
いつも散歩してるコースにも古墳があり
洛西は6世紀頃から集落があったと聞いていたからです。
ネットで調べると私の仕事部屋から見える丘の付近が「桂坂古墳の森」でした。
あまり興味のなさそうな妻を誘って、
市の文化財保護課に電話で見学を申し出ると、
親切に対応してくれて保存会の浅田会長が案内して下さるとのこと。
これは行かずにはいられないということであたふたと出かけていきました。

バスで30分もしないところにいくつもの古墳があるなんて不勉強でした。
奈良にある天皇陵に較べれば小規模なものではあっても、
復元された古墳の内までも入らせていただいた体験は貴重なものでした。
説明して下さった方の分かりやすい話も面白く、
本当に有意義な1日だったと思います。
浅田会長ありがとうございました。 

* 

年明け早々、ゴーンさんの逃走劇が
まるで映画のストーリーを思わせるように報道されています。
私は改めて「地獄の沙汰も金次第」という諺を思い出しました。
古の人は何とうまい事を言ったものでしょう。
今騒がれているIR誘致に関する賄賂の有無についても
「またか?」といった感じ。
貧富の差が激しくなっていく傾向は何とか是正していかないといけませんね。
「努力しないで、与えられることを求める」のも困るけれど
「資本主義」と「共産主義」の中間、
要するに「中庸の美徳」は言うは易くでなかなか難しいようです。

それにしても人間は、先人が失敗したことを教訓にして
「失敗を繰返さない」ように出来ないのでしょうか。
「我欲」が本能だとしたら悲しいことですね。

(音楽・演劇プロデューサー   橘市郎)

今年ももう直ぐ大晦日ですね。
みなさんお忙しくなると思いますので
本日で今年の最終ブログとさせていただきます。
もう退院してから1年半経つというのに、
私はほとんど仕事らしいことをしていないのに気がつきました。
正しく年金老人といった感じです。
リハビリや法人解散といったことで精一杯だったとはいえ、
不甲斐ない日々だったように思います。
お陰様で体調は大分良くなったので、
来年は生産的な仕事を少しでもしようと思っています。

一方、この1年は温かい人情に触れたり、
感動せずにはいられない芸術を再認識する機会に恵まれました。
仕事に追われていた時には気が付かなかったことが、
新しい驚きをもたらしてくれたのです。
人生の締めくくりを考えるべき年齢を自覚しつつ、
1日1日を精一杯生きていきたいと思います。

さて、今年に起きた安倍内閣の不祥事は目を覆うばかりでしたね。
安倍さんも総理大臣に就任した当時とは
大分、状況が違ってきたのを感じていることでしょう。
誰もが長く権力の座についていると陥る、負の遺産が出てきたようです。
歴史を見ても明らかなように、回りの人たちがどうしても付度し始めるのです。
「過ぎたるは及ばざるが如し」とは良く言った言葉で、
引くべき時を間違えるとろくな事がありません。
然るべき時にバトン・タッチをしていく勇気が大切のような気が致します。
人間誰もが永遠ではないのです。
目の前の現実のみに捕らわれず、
本来の正論を実現させようと努力する政治家が出て来て欲しいものです。
今週は少し堅い内容で申し訳ないのですが、
来年は出来るだけ楽しい話題を取り上げたいと思っています。
それでは皆様、良いお年をお迎え下さい!!

(音楽・演劇プロデューサー 橘市郎) 

 

1215日は、春秋座で行われた「鼓童」のコンサートに行って来ました。
坂東玉三郎さんが芸術監督をされていた時、
春秋座で公演していただいたご縁もありましたが
今回、演出された船橋裕一郎さんは京都造形芸術大学の卒業であり、
奥様はこのブログを管理してくれている佐藤和佳子さんなので
行かずにはいいられません。
その上プロデューサーの西村信之氏にも会いたいしで、
珍しく私は興奮していたようです。


開場と同時に客席に入った私は、余りにも用意してくれた席が
聴きやすいところなので落ち着きませんでした。
職業柄いつもは後方、鳥屋口脇で見ることに慣れていたからです。
私は皆さんの優しい心使いに感謝しないではいられず、涙ぐんだ程です。

5分遅れで開演しましたが、私は最初の1打を聴いた時、
これは単に打楽器の音とは違うと感じました。
船橋さんが先輩達から引き継いできた
発打ち」の精神が伝わって来たのです。
魂が込められたこの1打こそ、「鼓童」の音だと思いました。
打楽器は叩けば誰が叩いても音は出ます。
しかしその1打にはいろいろある。
そう思って次なる音を聴くにつけ、これは別格と思いはじめました。

アンサンブルとなって、この違いが顕著に現れてきました。
20代から70代、男性も、女性もいるメンバーが
一糸乱れずの演奏を聴かせてくれる。
それは生活を共にする人たちの協調でもありました。
何年か前、私が初めて「鼓童」の演奏を聴いた時には
これほどの感動をしなかったように思います。
静と動、強弱、速い遅いを巧みに配分した構成の上手さが
効果を上げたのでしょう。

船橋さん、あなたの構成は素晴らしかったと思います。
そしてメンバーの一人ひとりが一体となって、
一つの方向に向かっていくワンチームの強さが伝わってきました。
まるであのラグビーの日本チームが見せてくれた感動を
再度、味合わせてくれたようでした。

太鼓は誰が叩いても、叩けば必ず音がでますが、
高い精神性を伝えてくれる太鼓集団はそうありません。
「鼓童」がそういう存在であり続けてくれることを願わずにはいられません。
今日は元気を沢山いただいた日のような気が致します。
皆さん、ありがとうございました。

(音楽・演劇プロデューサー   橘市郎)

 

 

詩吟の2代目鈴木吟亮さんが亡くなりました。
50年来のお付き合いでした。
女流吟詠家として和歌を詩吟で謡い一線を画してきた方でした。
私は初代の宗家から
代目の本名福井美行さんに至るまで大変お世話になりました。

私が日本劇場の舞台監督をしていた時、
馬場紀邦さんと言う歌手から頼まれ
「知人が三越劇場で詩吟の会をやるのに舞台監督を探している。
ぜひ手伝って欲しい」と言われ引き受けたのが初めでした。
詩吟に詳しくない私は、吟舞の途中でカーテンを閉める失敗をしたものの、
公演の時間だけは決められた中に収められたので、
宗家は大変喜んで下さり、それから長いお付き合いが始まりました。

代目で、当時吟子さんと呼ばれていたお嬢さんは私より少し年上でしたが、
年齢が近いだけにいろいろと気を使ってくたものです。
それから何年か経った頃、吟子さんの御主人と息子さんの美行さんが
私の卒業した中学、高校と同じだったことが分かり、
美行さんが就職する時は、
私が東宝退職後に立ち上げた会社に入社してきたのです。
優秀な人材だった彼は何年か後に一流の広告代理店に転職、
さらに自分の会社を立ち上げるなどしましたが、
現在は吟亮流の代目を継いでいます。
代目が宗家の間に行われた会は、
ほとんど私がお手伝いしてきたのですが、
どんなに新しい試みをしても、代目はそれを実現すべく努力されていました。
どんな時も穏やかで会員の方たちもそのお人柄に協力的だったように思います。

私が京都に移り住んでからは余りお手伝いが出来ず、
申し訳ない気持ちで一杯です。
でも吟亮流の記念式典にはいつも呼んでいただき光栄でした。
どうか安心してお眠り下さい。
今後は息子さんの代目が立派に跡を継いでくれると思います。
いろいろなことを体験してきたことが生きてくるものと思います。
それにしても寂しいなあ(合掌)

(音楽・演劇プロデューサー  橘市郎)

 

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