一瞬の静寂

音楽・演劇プロデューサー・橘市郎のブログ。日々思ったことを綴っています。 東宝(株)と契約し、1973年にプロデユーサーに。1981年独立後は、企画制作会社アンクルの代表をつとめ、中野サンプラザからの委嘱で「ロック・ミュージカルハムレット」「原宿物語」「イダマンテ」を、会社解散後は「ファンタステイックス」「ブルーストッキング レデイース」などのミュージカルを制作。 2001年京都芸術劇場の初代企画運営室長。

最近は何処の店に行ってもアルコール消毒の備えがあります。
当然のように誰もがそれを利用しています。しかし薬品がこれほどお手軽に使われていて大丈夫なのでしょうか? 従来のように石鹸で丁寧に手を洗い、水で良くうがいするのでは駄目なのでしょうか?これほどアルコールが何処でも手軽に使われていると逆に弊害はないのでしょうか?

「毒をもって毒を制する」という考え方が本当にいい事なのか、副作用はないのだろうかと心配してしまいます。もともと「目には目を」という考え方もありますが、それが人間にとって良いことだったのでしょうか?

これこそ歳をとって消極的になった証拠かもしれません。夢と希望に満ち溢れている若者と80歳の老人とでは当然違った感覚を持っていることでしょう。でも少しでも地球を大切にし、人類が平和に共存共生して行くためには譲り合いの精神が必要です。素朴な片田舎の人たちのように労わり合いながら、自然とともに生きていく一生こそ人間味に満ち溢れているように思います。東京で生まれ育ち、京都に住むようになった私が厳しい自然の中で生活していく事は多分無理でしょう。

せめて経済最優先といった風潮には染まらずに素朴に生きて行きたいものです。

(音楽・演劇プロデューサー 橘市郎)


新型コロナ・ウイルスに苦しめられている最中というのに、今度は熊本、鹿児島、宮崎といった地域が大雨で大変な災害に見舞われています。
災害に見舞われた方たちのことを思うと、何も出来ない自分が不甲斐なく、胸が締め付けられます。被害にあわれた方たちにはお年寄りが多く、多分先祖代々その土地に育ってこられた方なのでしょう。どうかまずは身の安全を第一に避難されるよう祈っています。

今回の災害は天変地異とはいえ、もともとは人間が経済優先で地球を痛みつけてきた結果なのです。あちらこちらで行われている核実験。海を汚し続けてきたプラスティックごみ。地球が異常気象に陥らないはずがありません。全てがエゴに走る人間が引き起こした事と反省しない限り、地球の怒りは治まらないでしょう。

今こそ共存共栄が大切な時ではないでしょうか。自己中心に物を考えるのではなく、如何にしたらお互いが助け合えるのかを考える。相手の立場を尊重しながら、ともに生きて行くにはどうすればいいのか。何を譲り合えばともに生きて行けるのか?相手がコロナ・ウイルスであっても100パーセント抹殺するのではなく、共存共栄していくことを考えるのが「智恵」ではないでしょうか。

何事も一方が独り占めすれば、一方は文無しになります。やはり分かち合う事が必要なのでしょう。
「働かざるもの食うべからず」は資本主義の原則、共産主義は怠け者の温床、こうした極端な考え方からの脱却こそがこれからのテーマのような気がします。

(音楽・演劇プロデューサー   橘市郎)

 

このブログが更新される頃には、7月1日生れの私は80歳になっています。今までは年齢をあまり気にしていませんでしたが流石に我ながら年をとったものだと自覚しています。80歳は明らかに老人ですものね。

私は1939年3月に有楽町にあった日本劇場の舞台監督助手として就職いたしました。初仕事は引き割りカーテンが垂直に閉まっていくように先導する仕事でしたが、カーテンが閉まった途端にダンサーたちの香水の匂いに眩暈がしたものです。

ちょうど「ザ・ピーナッツ」のショーで私は華やかな舞台を下手の袖から見ていました。中でも私のお気に入りは「ジューン・ブライド」という曲で、それには「カトレア・シスターズ」という日劇専属の女性バック・コーラスが付いて下手の袖近くで歌っていました。うぶな私はそのうちの一人にすっかり魅せられてしまったのです。3月に就職して6月にはプロポーズしてしまったことになります。

相手の女性も睡眠不足で目を赤くしている私に目薬をくれたりしていたので、相思相愛と早合点していたのかも知れません。「善は急げ」ではありませんが、早速、担当課長に婚約を報告した途端「もう、うちの商品に手をつけたのか!」とそれは厳しいお叱りを受けました。もちろん清廉潔白なのですがそう思われても仕方が無いほどの幼稚さだったのです。

とにかく私たちは翌年の1月にささやかながら赤坂の健保会館で結婚式を挙げました。それから55年、我々夫婦はお陰様で55年一緒に生活してきました。いいこと悪いこと色々な事がありましたが、3人の娘に恵まれ今は幸せです。

先日「ザ・ピーナッツ」の特集番組がオン・エアーされていましたが、我々が結婚した経緯を聞いて直ぐにサインの入った「ジューン・ブライド」のレコードをプレゼントしてくれたことを思い出しました。この45回転のドーナッツ盤は今でも我が家の宝物となっています。宮川泰作曲、岩谷時子作詞の隠れた名曲が私に結婚を即断させてくれたと思っています。

ありがとう!「ジューン・ブライド」

(音楽・演劇プロデューサー    橘市郎)

父親が遺してくれたまま本棚にあった文庫本を自粛生活中に完読しました。
これも新型コロナ騒ぎがもたらしてくれた恩恵です。結構体力が要りましたが、作家が足かけ18年かかって完成させたことを考えたら罰が当たりそうですね。

競走馬にもステイヤーがいたり、スプリンターがいますが山岡荘八は正しく名ステイヤーです。徳川家康が当時としては長生きをして15代に亘る徳川時代の基礎を築いた功績は凄いと思いました。家康も人間ですから私欲や功名心が無かったわけではありません。しかし最後には泰平を願いこの世を去っていく様が丁寧に描かれていました。織田信長、豊臣秀吉をはじめとする登場人物は多岐に亘り、細かいエピソードが次々と紹介されていく博識には敬服するしかありませんでした。

学生時代から多数の文藝作家やその作品に接したきましたが山岡荘八のような作家を、単に大衆作家として扱うとしたら不公平のような気がします。
最も世の中の風潮として何が基準で評価がなされていくかが判然としないのは単に文藝作家だけではないようですね。世の中にはそれなりの評価をすべき人や作品が数多くあります。「素晴らしいものを素直に評価する心」を持ち続けたいものです。
(音楽・演劇プロデューサー    橘市郎)

服部克久さんが亡くなったというニュースはちょうどお父様の作品集のCDを聴き終わった数日後入ってきました。寂しいです。

克久さんは、明治座で松平健さん主演の「唄の絵草紙」を私が演出した時、音楽監督を担当してくれました。オペラ好きな私は、事もあろうに「歌麿をめぐる5人の女」の景ではプッチーニのアリアを使って場面を構成する台本を書きました。これはある意味、克久さんだからこそうまく行くと思ったのです。

案の定、克久さんは松平健さんの個性を生かしながら見事優雅なアレンジをしてくれました。「タイースの瞑想曲」を使った舞踊シーンや天草四郎に扮した松平健さんが歌う「SAME WERE」の編曲も流石でした。多分面倒な仕事をお願いしたとは思いますが、決して温厚な表情を崩す事無く、楽しそうに録音に立ち会う克久さんが頼もしく思えたものです。

克久さん、どうぞゆっくりお休み下さい。
あなたの功績と温厚な笑顔は息子さん、娘さんに間違いなく引き継がれていますから。

(音楽・演劇プロデューサー   橘市郎)

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