一瞬の静寂

音楽・演劇プロデューサー・橘市郎のブログ。日々思ったことを綴っています。 東宝(株)と契約し、1973年にプロデユーサーに。1981年独立後は、企画制作会社アンクルの代表をつとめ、中野サンプラザからの委嘱で「ロック・ミュージカルハムレット」「原宿物語」「イダマンテ」を、会社解散後は「ファンタステイックス」「ブルーストッキング レデイース」などのミュージカルを制作。 2001年京都芸術劇場の初代企画運営室長。

詩吟の2代目鈴木吟亮さんが亡くなりました。
50年来のお付き合いでした。
女流吟詠家として和歌を詩吟で謡い一線を画してきた方でした。
私は初代の宗家から
代目の本名福井美行さんに至るまで大変お世話になりました。

私が日本劇場の舞台監督をしていた時、
馬場紀邦さんと言う歌手から頼まれ
「知人が三越劇場で詩吟の会をやるのに舞台監督を探している。
ぜひ手伝って欲しい」と言われ引き受けたのが初めでした。
詩吟に詳しくない私は、吟舞の途中でカーテンを閉める失敗をしたものの、
公演の時間だけは決められた中に収められたので、
宗家は大変喜んで下さり、それから長いお付き合いが始まりました。

代目で、当時吟子さんと呼ばれていたお嬢さんは私より少し年上でしたが、
年齢が近いだけにいろいろと気を使ってくたものです。
それから何年か経った頃、吟子さんの御主人と息子さんの美行さんが
私の卒業した中学、高校と同じだったことが分かり、
美行さんが就職する時は、
私が東宝退職後に立ち上げた会社に入社してきたのです。
優秀な人材だった彼は何年か後に一流の広告代理店に転職、
さらに自分の会社を立ち上げるなどしましたが、
現在は吟亮流の代目を継いでいます。
代目が宗家の間に行われた会は、
ほとんど私がお手伝いしてきたのですが、
どんなに新しい試みをしても、代目はそれを実現すべく努力されていました。
どんな時も穏やかで会員の方たちもそのお人柄に協力的だったように思います。

私が京都に移り住んでからは余りお手伝いが出来ず、
申し訳ない気持ちで一杯です。
でも吟亮流の記念式典にはいつも呼んでいただき光栄でした。
どうか安心してお眠り下さい。
今後は息子さんの代目が立派に跡を継いでくれると思います。
いろいろなことを体験してきたことが生きてくるものと思います。
それにしても寂しいなあ(合掌)

(音楽・演劇プロデューサー  橘市郎)

 

2日から4日まで久しぶりに上京して来ました。
昔は京都に行くことを上京すると言っていましたが
今は東京へ行くことを言うのが普通のようです。

今回はパトスという会社の忘年会に招待されて行ったのですが、
前回は体調が思わしくなく欠席しているだけに
何としても元気でいることを伝えたいと出かけていきました。
社長の壱岐空美子さんは、私が日産ミスフェアレディ―の
ナレーター教育をしていた時の教え子のひとりだったのですが、
その後50年余り何かとお手伝いしたり、
こちらがお世話になったりしてきました。

彼女はどちらかというと地味なタイプでしたが、
いつも自分の考えをぶれることなく実行し、
20年前に会社を立ち上げました。
そして着実に業績を上げ今日を築き上げたのです。 
社関係者の他で忘年会に招待されたのは、
私の隣りに座られたK氏と私の二人でしたが、
K氏も古いお付き合いの方でした。

お話を聞いてみるとパトスの発展に
一歩下がった立場で応援してくれた方でした。
私は忘年会に出席する直前に、
パトスの経営哲学を読みましたが
壱岐さんはまさにご自分の哲学を実践されていたのです。
何事も感謝することを忘れない精神が
講師一人ひとりに共感を与えているのが良く分かりました。
去って行く者、新しく入って来る者いずれにもエールを送る姿は、
皆から尊敬されている理由でもあったように思います。
「出藍の誉れ」という言葉がありますが、
壱岐さんが皆から愛されている姿はそういう感じでした。
これから益々生きてゆくことが難しくなっていく現代、
何が大切かを教えられた数日間でした。
壱岐さんありがとう。
命をいただいている限り一生懸命毎日を生きて行きたいと思います。
来年もまた元気にお目にかかれるように頑張ります。
壱岐さんもパトスも益々発展されますように祈っています!

 

(音楽・演劇プロデューサー  橘市郎)


ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇の来日は感銘を受けました。
唯一の被爆国を訪れ核のない世界を訴えてくれたのは大きな力となりました。
大体この国が核軍縮に賛成しないと言うのはどう考えてもおかしな話です。
正論が言えない指導者が余りにも多い現実が、
人々をそして地球を破滅させようとしています。
それは我欲を満たすために懸命な人たちが
あっちにもこっちにも居るからでしょう。
今こそ世界中の人々が助け合い、
平凡であっても安心して生活できる社会を目指さないと人類は破滅します。

「歴史はくりかえす」と言われますが、
今こそ人類がそして地球の滅亡が危惧されている時代はありませんでした。
寿命が延びたといっても人生たかだか100歳、
英雄思考ではなくお互いが慈しみ合い、
尊敬しあう生き方をしたいものです。
これは「青年よ、大志を抱け!」というクラークさんの言葉とはちがって、
「負け犬の遠吠え」かもしれませんが、
80歳に近い男の正直な気持ちでもあります。

(音楽・演劇プロデューサー  橘市郎)

我が家にある往年の名歌手の演奏を聴き直していることは
以前、紹介しましたが、
何度聴きなおしても飽きないのがタリアヴィーニです。
私がこれまでで一番、感銘を受けた歌手をあげるとすれば、
間違いなくこの人です。
初めて人の声の考えられない美しさと
迫力を教えてくれた恩人でもあります。

この19日に「黒田恭一さんを偲ぶ会」が行われましたが、
黒田さんもタリアヴィーニのファンであり、
高い評価をしていることは10年も後に知ったのです。
もしかするとこの感性の共通が私を認めていただいたのかも知れません。
あの柔らかいソット・ヴォーチェと
響き豊かな迫力あるフォルテシモの使い分けは
ほかの歌手には絶対出来ません。

温かい人柄といい、愛すべき小柄な体型といい
「私はスターだ」という威圧感のないのも魅力でした。
今思えば黒田さんは、どこか雰囲気がタリアヴィーニに
そっくりだったように思います。

仕事とスケジュールが重なり
「黒田恭一さんを偲ぶ会」には参加できなかった私ですが、
天国でタリアヴィーニと再会している黒田さんを想像して
うらやましく思ったりしています。
今宵もタリアヴィーニの声を聴いて黒田さんを偲びます。

(音楽・演劇プロデューサー  橘市郎)

少し前になりますが大阪のいずみホールで「日欧艶男合戦記」という
光源氏とドン・ジョヴァンニを対比したパフォーマンスを見に行きました。
桂春團治さんの語りとオペラの抜粋をアレンジしたものですが、
部で親しい作曲家尾上和彦さんの作品が披露されることから
尾上さんからご招待されたのでした。
部は、かなりお笑いの要素が見られましたが、
オペラ「月の影」を扱った第部はほとんどシリアスに扱われ
オペラ・ハイライトといった感じでした。

指揮の阪哲朗さんも演奏のアンサンブルもさすがでしたし、
部出演の歌手たちもしっかりした歌唱を聴かせてくれました。
衣装にしても本格的で本公演に劣らない豪華さだったと思います。
尾上さんのオペラは日本物といえど
ベルカント・オペラ並の声が要求されるので、
アリアともなると歌手の力量が極めて出来を左右してくるのです。
そういう意味でもレベルの高い公演でした。

ここでは字幕が使われていましたが、
和歌を引用したアリアなども内容が伝わり有効でした。
改めてアリアの中には耳に残るメロディーも多く、
これからも繰り返し上演していくことによって
「夕鶴」以上に親しまれる日本物オペラとなる可能性を感じました。

尾上和彦さんは私と同じく細身。
しかも大病と戦いながら不屈の精神で作品を創り続けています。
尾上さんの活動が若い世代の人々に
うまく引き継がれていくことを切に願っています。
今度またゆっくりお目にかかりたいと思います。

(音楽・演劇プロデューサー 橘市郎)

 

 

 

 

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