一瞬の静寂

音楽・演劇プロデューサー・橘市郎のブログ。日々思ったことを綴っています。 東宝(株)と契約し、1973年にプロデユーサーに。1981年独立後は、企画制作会社アンクルの代表をつとめ、中野サンプラザからの委嘱で「ロック・ミュージカルハムレット」「原宿物語」「イダマンテ」を、会社解散後は「ファンタステイックス」「ブルーストッキング レデイース」などのミュージカルを制作。 2001年京都芸術劇場の初代企画運営室長。

先週末、13日~15日は東京に行っていました。
13日は日本文化藝術財団の理事会に出席後、林部智史コンサートを鑑賞。
14日はインターナショナル・カルチャーの松野正義さんと歓談後、
  映画「君の名は」を鑑賞。夕方からは指揮者の星出豊さんと夕食。
15
日はソプラノの川越塔子さん出演の「椿姫」を鑑賞。
  新幹線の時間まで昭和音楽大学の武涛京子さんと雑談
と、めまぐるしい3日間でした。

中でも星出さんとはお寿司屋で時間、
喫茶店2時間、計時間ぶっ通しで話しました。
彼は高校の年後輩で、高校時代から一緒にオペラをやっていました。
星出さんは中学、高校と演劇をやっていて、
年生くらいからオペラに関わったと記憶しています。
その後、彼は指揮者への道を歩み始めるのですが、
私が早稲田の卒業公演で
オペラ「イドメネオ」(旧文京公会堂)を制作、演出した時、
指揮をしてくれました。
その年後にはパイジェルロの
「セヴィリアの理髪師」(紀伊国屋ホール)でも
コンビを組んだのです。

私が東宝と契約してからは、別々の道を歩み始めるのですが、
「オーケストラで映画音楽を聴く夕べ」(共立講堂)や
「魅惑の映画音楽」(日劇)でも彼に指揮をお願いしました。
逆にオペラ「安寿と厨子王」(浅草公会堂)では、
星出さんが声をかけてくれて、
久しぶりに演出をさせてもらいました。

2000年に京都造形芸術大学に赴任した私は、
春秋座の流れが出来上がった2004年、東京に戻ることになります。
早稲田の同級生、広渡勲さんから誘われ赴任したのが
昭和音楽大学だったのですが、
そこには学長の五十嵐喜芳先生、指揮者の星出豊先生がいたのです。
アートマネージメントを教えながら演奏室長を務めることになった私は
ここで再び星出さんと一緒に仕事をすることになりました。
つまり彼とはなんだかんだと言って
60年の付き合いの歴史があるんですね。
私が京都に戻ってからはなかなか会えず
先月、突然電話がかかって来て、
「上京した時にはぜひ、メシでも喰いましょう」
となったわけです。

積もり積もった話をしたのですが、
彼は台本、指揮、演出をひとりで努めた
「いのち」と言う長崎市民オペラを地元で上演。
この作品が新国立劇場の招待公演に取り上げられ、
ジャスラックの賞もいただいたと報告してくれました。
学歴社会と言われるクラッシック音楽界において、
決してエリートコースとはいえない道を歩みながら
「オペラの指揮者と言ったら星出豊が一番」と言う
評価を受けるようになった彼の精進ぶりには頭が下がります。

ドイツに留学して身に着けた技術に、
自分の信念を加味した彼の指揮ぶりは多くの人々を引き付けています。
教育者としても学生から慕われている彼が、
これから果たす役割は大きいと思います。

1年であっても先輩は、先輩ですから」
と立ててくれる偉大な後輩を横にして、
飲めないはずの酒を付き合っていた私でした。


(達人の館 代表 橘市郎)

10日、「レ・フレール スペシャルコンサート」が行われた日に、
Verdiというコーヒーショップが
京都造形芸術大学の1階にオープンしました。
Verdiは下鴨に本店がある知る人ぞ知るコーヒーの名店です。
大階段のすぐ南側にある展示スペース跡に出店したため、
10日は春秋座に見えた方でいっぱいだったようです。

こちらのオーナー続木義也さんは
進々堂の社長 続木創さんの弟さんです。
進々堂の社長さんには春秋座オペラで協賛していただき
大変お世話になりましたし、
下鴨本店には何回かお邪魔していたので、ご挨拶したところ、
「ここにはピアノもありますし、
天井も高いので何か催し物をしたいのですが、
アイディアをいただけませんか?」と言われました。
「ここの響きならマイクなしでも行けそうですね。
ちょっと考えてみます」と言って日後に
Verdi サロン・ライブのご提案」を出させていただきました。
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大学の中にある劇場として、春秋座があるように、
大学の中にあるコーヒーショップとして位置づけること。
音楽学科がない芸術大学として、
音楽家を目指す若いアーチストが演奏できる場所を提供すること。
ギャラではなく入場料収入をある比率で店と出演者で分け合うこと。
時にはジャズやポップスなどジャンルにこだわらずプログラムを組むこと。
タイミングや志によって若手ミュージシャンと同じ条件で出演してくれる
ビッグアーチストも歓迎すること。
などのコンセプトをお伝えしたのです。
すると日で「これでぜひお願いします」と
ご連絡をいただきました。

とんとん拍子に話が進み、
2016年度は1113日(日)、1126日(土)、1223日(祝)の3日間、
試験的に開催することになりました。
私の頭の中には堀川音楽高校から
ストレートで東京芸術大学の声楽科に入学し、大学院に進学した
井上大聞さんの存在が浮かんでいました。
彼は稀に見る美声で、高校の卒業演奏会、有志による若手演奏会
そして京都芸術祭のデビューコンサートと
圧倒的な存在感を示していました。
大学院でも数多くのオペラに起用され、
将来を嘱望されるバリトン歌手です。
こういう人が多くの人に認知されるためには、
コンサート活動だけではなく身近にお客様と接し、
その素晴らしさをアピールする必要があると私は思っていたのです。
彼は東京に住んでいますが、
12
23日には京都に戻ってくるということを聞き、
声をかけたところ出演を快諾してくれました。

次に、これからの事もあり、彼と共にデビューコンサートで
才能を示していたヴァイオリンの冨家聖香さんを紹介してもらい、
出演を依頼したところ、彼女も喜んで参加してくれることになりました。
彼女は1113日に登場してくれます。
お二人ともお若いので、1126日は無理を言って
「江藤ゆう子 昭和を歌う」で御馴染みの江藤ゆう子さんに
友情出演していただくことにしました。
彼女には、今回はシャンソンやジャズ、
ポップスなどを中心に歌っていただきます。

あっという間に、今年度3回分のラインアップが決まったのも
続木オーナーの決断と出演を快諾してくれたアーチストの皆さんのお陰です。
おいしいコーヒーやケーキをいただいた後、
素晴らしいアーチストの演奏をぜひ楽しんでいただきたいと思います。

詳細については
Verdi 075-746-4310 にお問い合わせください。

10
日後くらいにはチラシも出来ていると思います。
フライング気味の情報でした。

(達人の館 代表 橘市郎)


今、ヨーロッパの各国が
難民を受け入れるか拒否するかで揺れています。
アフリカで内戦をはじめとする戦争が今ほど激化する前は、
どの国も難民を当然のように受け入れていました。
人道的にそうするのが当たり前だったように思います。
それが今や国の行方を左右する大問題になっています。
余りにもその数が多いからです。
受け入れるべきか、受け入れないべきかは
私などが、遠くから軽々しく言えることではありません。
考えるべきは、難民の皆さんが、
何故こうも増えたのかということです。

この人々は、間違いなく戦争によって、町を破壊され、
命を奪われる恐怖から逃れようとして
難民にならざるを得なかったのです。
如何に貧しくとも故郷が平和であったなら、
その場で平安に暮らしていたことでしょう。
難民と呼ばれる人々は、ほとんどが庶民であり、
戦争に巻き込まれた被害者なのです。

「戦争さえなければ!」と
不条理に怒りを覚えているに違いありません。
やはり元凶は戦争です。
如何に「正義の戦い」と言っても
戦争がもたらす不幸は庶民に降りかかってきます。
どうして、こんなことが繰り返され、
停戦が実現しないのでしょうか。
歴史的な因縁、権力者の思惑、各国の立場、
いろいろ複雑なことが絡んでいるとはいえ、
素直に現実を考えた時、私は子供のように思いました。
「武器、弾薬をアフリカに送りこまないことだ」と。

アフリカで日々戦いをしている兵士たちが
武器や、弾薬を作っているはずがないとすれば、
これらは外部から送り込まれているはずです。
各国が武器輸出禁止を実行すれば、戦争は治まらないまでも、
日本の戦国時代の戦いみたいにならざるを得ません。

日本はかつて、専守防衛を唱え、
武器弾薬を輸出しないと公言していました。
ぜひ、世界から戦争を無くす旗振りを日本がして欲しいと思います。
「攻撃は最大の防御なり」と言う言葉は、
現代では、ルールのあるスポーツの世界でのことです。
「こちらからは、絶対先に攻撃しない」
と宣言することが最大の防御だと私は思います。

どうか、儲かるからといって、
戦争が行われている地に武器弾薬を送り込むという、
悪魔のような行為はしないでください。
難民をこれ以上増やさないためには、
戦争をやめさせるという根源的なことを実現させなければなりません。
文字通り「武器よさらば!」です。

(達人の館 代表 橘市郎)

9月24日、春秋座で
「2代目市川猿翁のアーカイブ・フォーラム」が開催されました。
春秋座開場15周年を記念しての企画でしたが、
私もご招待され初めて9列目の中央で観客として催し物を拝見しました。
自分が直接携わっている時は、
いつも鳥屋の下手側(チケットを販売していない席)で公演を見ていたので、
舞台がとても近く感じられ、何故か落ち着きませんでした。
舞台上の役者さんと目が会うと思わず
「お早うございます!」と言ってしまいそうなのです。

司会の市川笑三郎さんの挨拶の後、
部は市川右近さんと造形芸大の徳山理事長の対談でした。
劇場が建つ前に行われていた歌舞伎の集中授業のお話、
そして初代理事長と猿翁の、劇場を立てるまでのやりとりなど
興味深く聞かせていただきました。
それにしても、こんな劇場が良くも出来たものですね。
開場の年前から開設準備室長として関わらせていただき、
開場後、3年間企画運営室長を勤めていた自分のことなど
すっかり忘れて、客観的に話を聞いていました。
初代の詳直理事長と猿翁の出会いが、
奇跡を生んだとしか思えない快挙だと思います。

第2部は脚本家として、
演出家として三代目猿之助(猿翁)を支えてきた石川耕士さんの
「三代目市川猿之助の仕事」というお話でした。
23歳にして3代目を継いで、
異端児とかサーカスとか揶揄されながら、
分かりやすくて、面白い歌舞伎を復活させ、
ついにはスーパー歌舞伎を生み出した功績の数々が紹介されました。
現在歌舞伎が元気なのは、
全く猿翁のお陰と思わせるような説得力ある講演でした。
命を縮めそうなハードスケジュールを黙々とこなし、
松竹を生き返らせたといってもいい奮闘振りが良く分かりました。

そして、最後に登場したのが4代目市川猿之助さん。
春秋座の芸術監督でもある猿之助さんは、
すっかりフランチャイズでの舞台といった感じで、
ジーパン姿で登場するやエスプリの効いた話を展開し、
大いに会場を沸かせました。
「3代目と私は冒険家というところは似ていますが、
方やまじめで芝居一筋、お酒も飲みませんし、集団稽古大好き。
一方の私はいろいろ趣味もありますし、酒も飲みます。
決定的な違いは集団稽古が嫌いということ。
これは役者に喜ばれています」などと会場を笑わせていました。
それにしても、アニメ人気に注目したり、
コンピューターの便利さを使いこなして
『ワンピース』のような作品を上演、
若い歌舞伎ファンを増やしている猿之助さんの功績は大きいですね。

最後に抽選会があり、猿翁の3巻一組の豪華写真集が3名の方に当たりました。
余りにも重いため当選者は舞台を降りるのに苦労していたほどです。
猿翁が大学に寄贈した膨大な資料をいい状態に保つには
お金がかかるということで、募金も猿之助さん特有の呼びかけで行われました。

私も気持ちだけでもと募金箱にお札を入れようとしたところ
募金箱からお札が溢れ、入れるのに苦労しました。
無料(抽選)で聞けたこのフォーラムに対する
感謝の気持ちが反映されていたように思います。
関係者の方々,出演された皆様、お疲れ様でした。

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(達人の館 代表   橘市郎)

昨日、パソコンを開いていたら
「栄光のグループサウンズ大全集―CD10巻」の
広告が盛大に載っていました。
ザ・タイガース、ザ・スパイダース、ザ・ワイルドワンズ、
ザ・テンプターズ、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、
ザ・ジャガーズ、寺内タケシとバニーズなど
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組のグループの曲が200曲入っている、
文字通り大全集が発売されるそうです。

     
          写真:株式会社ユーキャン HPより

「そうです」というのは人事のようですが、

実は20日に私は東京ステーションホテル内の
喫茶店で取材を受けていました。
突然、東音のIさんから電話をいただき、
この大全集を発売するに当たって、グループサウンズ全盛の時に、
日劇ウエスタン・カーニバル」の舞台監督をしていた方に、
舞台裏の話を聞きたいということでした。

確かにその時代、私は20代後半で舞台監督をしておりました。
ウエスタン・カーニバルを担当していたこともまぎれもない事実です。
しかし、それはもう45年以上も前のことです。
ウエスタン・カーニバルを立ち上げた
名演出家の山本紫朗先生は亡くなっているし、
後継者の松尾准光さんも体調がすぐれないとなると
私なのかなと思いつつ、その依頼を引き受けたのです。

「それにしても、京都在住の私から話を聞くということは
京都までいらしてくださるんですか?」と訊ねると
「新幹線代を用意しますので、
出来たら東京でお話を伺えませんでしょうか?」ということです。
I
さんは取材の謝礼の件まで丁寧にお話してくれました。
その誠意ある応対に私は応えることにしました。
45年前の記憶を整理して東京に出かけたのですが、
喫茶店に着くとⅠさんの他にライターのNさん、
発売元のMさんもいらっしゃいます。
これは大ごとだぞと思いながら約時間取材を受けました。

あの時、10月頃発売と聞いたような気がしていましたが、
もう完成したのですね。インタビューの内容はここでは書きませんが、
日本の洋楽史上、センセーショナルな話題を巻き起こした
グループサウンズをこのような全集にまとめられた熱意に敬意を示し、
感謝をしたいと思います。
あの頃、青春を発散していらしたご婦人も
今や60歳を越えられているはずです?
本当に「光陰矢の如し」ですね。

(達人の館 代表  橘市郎)

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