一瞬の静寂

音楽・演劇プロデューサー・橘市郎のブログ。日々思ったことを綴っています。 東宝(株)と契約し、1973年にプロデユーサーに。1981年独立後は、企画制作会社アンクルの代表をつとめ、中野サンプラザからの委嘱で「ロック・ミュージカルハムレット」「原宿物語」「イダマンテ」を、会社解散後は「ファンタステイックス」「ブルーストッキング レデイース」などのミュージカルを制作。 2001年京都芸術劇場の初代企画運営室長。

予想どおりコロナ・ウイルスの感染者は右肩上がりに上昇し「非常事態宣言」が出されそうな状況になりました。

政府の対応は首相の「いい格好をしたい」体質がそのまま露見した感じです。以前からいろいろと糾弾されてきた事がここに至って極まったというべきでしょうか。

一方、小池都知事の対応は立派でした。国民の安全に心を配り、自分の言葉で実情を訴えた行動は、どちらが首相に相応しいかを考えさせるほどでした。もちろん国家と地方との違いはありますが、北海道の鈴木知事といい、リーダーの資質とは何かを教えられたような気がします。

今の事態に対し、我々、一市民はどうするべきかを冷静に考えないといけないと思います。岡目八目のように評論家になっても何も好転しません。自分自身が感染のリスクを最小限に食い止めるように自粛することです。何度も書いているように、一斉に右に行ったり、左に行ったりせず冷静に行動をしたいものです。

地球が滅亡しない限り、必ず平穏がやって来ると信じておたおたしないようにしましょう。
こんな時にも桜の花が美しく咲き誇っている姿は勇気付けられますね。 

 * 

久しぶりにBSのテレビ番組で岩崎宏美さんの歌声を聴きました。
相変わらず透き通った声で懐かしかったです。

岩崎さんは中野サンプラザ・ホールで上演されたロック・ミュージカル「ハムレット」にオッフェリア役で出演していただきました。この時のハムレット役は桑名正博さんでしたが、入水したオッフェリアを抱きかかえて歌うシーンが何故か忘れられません。

岩崎さんは先生の「歌のおばさん」松田トシさんから紹介された時から才能を発揮されていました。ミュージカルの他にもディナーショーをやっていただきましたが、いつでも安定した歌唱でファンを魅了してくれたのが昨日のようです。
基礎がきちんと出来ている岩崎さん、いつまでも歌い続けていてくださいね。

(音楽・演劇プロデューサー   橘市郎)


1週間前にはオリンピックの延期も決まっていず、非常事態宣言の可能性も検討されていませんでした。日本だけは安泰のような雰囲気があったのに、この1週間の急変ぶりは一体、何なのでしょう。動揺を抑えるために意図的に情報を操作していたと思われても仕方ない程です。

いろいろな支援策にしても効果がどの位あるのか、いつ実行されるのか一向に判りません。
こんな時にはおたおたせず、人に迷惑をかけず、自分に出来る事を精一杯やるしかありません。

決して自己中心のエゴではなく、それがほかの人にとっても為になるのです。困っている人を助けるのは当たり前ですが、その前に人に迷惑をかけないように心がけるのが大切だと思います。

とにかくこのピンチを乗り越え、再び平穏な日々が戻ることを願って頑張りましょう!


志村けんさんが亡くなられたニュースがテレビで報じられました。まだお若いのに残念ですね。
私が日劇で舞台監督をしていたころはドリフターズが全盛で、志村さんはまだバンドボーイのような付き人をやっていました。

私は加藤茶さんとは結構縁が深く、ゴルフ場の風呂場でお会いしたり、つい4、5年前には新歌舞伎座の楽屋でお目にかかりましたが、志村さんがあれほどまでに人気者になるとは思ってもいませんでした。ただ仕事の段取りが素早く、いかりや長介さんが頼りにしていたのが印象に残っています。

人は誰でも下積みの時代を経て1人前になって行きます。才能と努力によって何処まで大きくなるかはなかなか予測が出来ません。
短い生涯を最大限に生きぬいた志村けんさんに改めて敬意を表したいと思います。
どうぞ安らかにお眠り下さい。

(音楽・演劇プロデューサー   橘市郎)

宮城まり子さんが亡くなられました。
「ガード下の靴磨き」の大ヒットで人気者だった宮城さんは、私が有楽町の日劇で舞台監督をやっていた頃、「スコットランドの鐘」というミュージカル仕立てのショーに主演されたことがあります。

宮城さんは一つのことに集中されるタイプで、毎日のように電話を掛けてきては私に注文を出されました。それも会社にだけではなく自宅に、しかも真夜中に掛けてこられるのです。ショーのクライマックスで、宙吊りのロープにぶら下がり鐘を突く場面がありましたが、その握りの部分に皮をまいて欲しいというリクエストを舞台稽古当日の午前3時頃、自宅に電話してくるほど熱心な方でした。

若輩者の私は「何とかします」と答えたもののいい案が浮かばず、劇場に行ってから倉庫を漁って大量にあったタンバリンの皮を剥いだのを覚えています。柔らかい皮を期待していた宮城さんには大変失礼したと思っています。でも舞台は迫力満点で、大喝采を浴びたのでした。この時共演していたダンサー、神崎一人さんは後に宮城まり子さんが開いた「ねむの木学園」で振付師としてずっと彼女を支え続けました。

障害を持った子供たちに夢と希望を待たせ続けた宮城まり子さん、本当に純粋な方でした。
彼女の優しさが結集されたこの施設をいつまでも守って行って欲しいものです。


新型コロナウイルスの状況が毎日のように社会情勢を揺るがせています。
オリンピックの開催も延期の可能性が濃くなってきました。国会では政府の隠蔽体質がいろいろと暴かれています。明日がどうなるかわからない状態です。こういう時こそ冷静に、自分が出来ることを実行するしかありません。自分だけのことを考えるというのではなく、いかに対処するのが社会のためになるのかを実行することなんでしょうね。
おたおたする事無くクールさを保ちたいと思います。

(音楽・演劇プロデューサー   橘市郎)

テレビをつけても、新聞を開いてもコロナ、コロナの記事で一杯ですね。まさに世界中がコロナの脅威におびえています。
状況が毎日毎日悪化していく感じで誰もが暗い気持ちになっています。こんな時に思い出すのがドリス・ディが歌って大ヒットした「ケ・セラ・セラ」という曲です。当時は「先のことなど判らない。ケ・セラ・セラ」という歌詞を聴いて、随分無責任な歌詞だなと思っていましたが、今はその通りだなと共感しています。どんな事態になろうとも先のことなど誰にも判らないのです。

競馬の予想と同じで、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」なのです。そうであれば都合のいい結果を期待して、最善の備えをした後はどっしり構えるしかありません。楽観過ぎると思われるかも知れませんが「先のことなど判らない」というのは真実です。ともすれば悪い結果に怯え右往左往するのはかえって危険です。

皆さん、我々庶民は自分に出来る事を誠実に実行するしかありません。
慌てず騒がず落ち着いて行動しようではありませんか。


先日、BSの「ザ・インタビュー」という番組に由美かおるさんが出演しているのを見ました。相変わらずプロポーションを維持され、西野式の呼吸法を教えている若々しい姿を見てうれしく思いました。
由美かおるさんは私の大好きなアイドルであると同時に、仕事上大変縁の深い人でもありました。日劇で山城新伍さんと共演された「かごや三銃士」というミユージカルや同じく日劇で行われた「グリース」というブロードウエイ・ミュージカルに主演していただいたのです。合気道を紹介するショーにも特別出演していただきました。

由美さんは京都の八百屋さんのお嬢さんで、芸事に関しては根性娘でしたが育ちはおっとりした品のある京女でした。後年、絵を描いたり、アコーデオンに挑戦したりしましたが、その多芸さは驚くばかりです。どんなに売れっ子になっても恩師である西野先生を慕っている律儀さが由美さんの人柄といえるでしょう。

年ほど前でしょうか、大学の方に訪れてくれた時には子供芸大まで行ってピアノの弾き語りを披露してくれましたが、その演奏が春秋座の舞台で聴けることはありませんでした。今でも由美さんの春秋座公演が実現できなかったのが残念でなりません。これからも益々元気にご活躍されますことを祈っています。

京都にお越しの際はまたお目にかかれるといいですね。

(音楽・演劇プロデューサー  橘市郎)

 

 

新型コロナ・ウイルスの発生以来いろいろ異変が起こっています。何処の薬局、スーパーに行ってもマスクやトイレット・ペーパーがないという事態です。こういう事態を見て私はあることを思い出しました。

私は春秋座という劇場の運営に携わっていた時、何回か非常時の避難訓練をやっていました。
普段ならば劇場が終演してから、お客様が退出されるので流れはスムースなのですが、万が一火災や地震が発生した時には、出口に殺到するお客様でパニック状態に陥りやすい非常時こそ慌てないということが如何に大事かを知って貰いたかったのです。

今回の事態は一種のパニックと言っていいでしょう。
自分だけは助かりたいと思うのは、生存本能かも知れませんが、そこを冷静になって考えて欲しいのです。我先にと殺到することが危険なのだということを。
マスクやトイレット・ペーパーが何時までも無くなるなんて事はないのです。
何かあると、わっと同じ方向に向かって走る群集心理に陥らないようにしたいものですね。


北大路欣也さんは早稲田文学部の演劇科出身で私の年後輩ですが、在学中は全くご縁がありませんでした。ところが帝劇杮落しのミュージカル「スカーレット」で二人は突然出会うことになります。
私はこの時、音楽担当の演出助手をしていたのですが、主役のレッド・バトラー 宝田明さんが映画の撮影中怪我をされ、急遽代役に北大路さんが選ばれたのです。
初日まで1週間、私は練習室に北大路さんと音楽指導の先生とこもり特訓を重ねました。
その結果、彼は俳優でありながら才能と努力で立派に代役を務め、公演を大成功に導いてくれました。

この時のハイライトLPが在りますが、今聴いても素晴らしい歌唱に吃驚させられます。
この時の歌唱が忘れられず、北大路さんには後年、中野サンプラザでのコンサートやいくつかのホテルのディナーショーもやっていただきましたが、石原裕次郎さんにも負けず劣らずの成果を挙げてくれたものです。最近は年賀状のみの交流になっていますが、その礼儀正しい人柄は相変わらずです。

その北大路欣也さんがよく言っていた「人は生かされている」いう言葉が最近味わい深く感じられるようになりました。若い頃は「生きる」という言葉ですんでいたのですが、「生かされている」がひしひしと迫ってくるのです。私が歳をとってようやく解って来たことを北大路さんは若くして理解していたなんて凄いですね。

またお会いしてこんなお話もしてみたいと思いますが、お忙しいので無理でしょう。
せめて新しいドラマを拝見するのを楽しみにしています。

(音楽・演劇プロデューサー    橘市郎)


↑このページのトップヘ