昨日、昭和音楽大学の客員教授 広渡勲さんと京都のホテルで会いました。
数日前、「同世代の友人が次々と亡くなるので、
明日はわが身という切実な思いがする。
元気なうちに京都の桜と紅葉を見たくなった」
と電話が入り突然京都にやって来たのです。

彼は早稲田演劇専修の同期生で何かと縁がある貴重な友人です。
学生時代は彼が博多から出てきて下宿していたので、
よく私の母親の手料理を食べにやってきました。
私の方も小奇麗な彼の下宿に押しかけ、
悪友と長時間麻雀をやったものです。
彼は自分ではあまり参加せず、
おいしいコーヒーをこまめに入れてくれました。

卒業公演では、一緒にモーツァルトのオペラ
「イドメネオ」の初演を成し遂げました。
彼はもともと邦楽をやっていて歌舞伎に詳しく、
オペラに関しては私に引っ張り込まれた感じでした。
私は逆に彼から歌舞伎についていろいろ教えてもらったものです。

大学を卒業する直前に、
黒田恭一さん(著名 なオペラ評論家ー故人)から紹介された
演出助手のアルバイトに彼を誘って参加。
私は2公演目の途中でやめましたが
彼はそのままスタッフクラブに所属していました。
後に彼がオペラ制作の世界に入るのも
この時のご縁があったからだと思います。
その後、私は東宝演劇部と契約するのですが、
何とある日東宝本社で彼とバッタリ会うのです。
彼も東宝の演劇部に入っていたんですね。

彼が第1演劇部、私が第2演劇部だったので気がつかなかったのです。
帝劇の杮落とし公演「スカーレット」や
ミュージカル「歌麿」ではいっしょになりました。
やがて彼はNBSという招聘業務の会社で華々しい活躍をします。
世界の一流ミュージシャンと親交を重ね、
日本にはイサオが居ると信頼を勝ち得ます。

春秋座が軌道に乗り、劇場運営が先生方の研究組織に委ねられた時点で、
私は東京に戻るのですが、
その時、昭和音楽大学に誘ってくれたのが、広渡さんでした。
彼はNBSを辞め、大学でアートマ ネージメントを教えていたのです。
性格も生き方も全く違うのに何かと縁があるんですね。
長々と書いてきましたが、そんな彼が弱気になっているので
心配して会いに行ったのですが、彼は全く元気でした。
「前の日に京都に入って、今日は平等院~醍醐寺~伏見稲荷と回って来た」。
しかも伏見稲荷では頂上まで歩いたというんです。
そして、今日も清水寺~高台寺~円山公園~寺町通りと移動。
三嶋亭ですき焼きを食べて帰京するとメールが入りました。
大丈夫、彼はまだまだ生き続けます。
あの軽いフットワークはどう見ても50代です。
私も彼にあやかり元気にやって行きたいと思います。
達人の館の企画を彼はほめてくれました。
また何かでご縁が出来るかもしれませんね。

達人の館 代表 橘市郎