永六輔さんを追うように大橋巨泉さんが亡くなりました。
どうしてこういうことが重なるのでしょう。
私は東京の下町で生まれましたので、
永さんの江戸っ子特有のいなせな感性が好きでした。
ラジオやテレビの世界に
多大な影響を与えた方として尊敬もしておりました。
また、大橋巨泉さんも同じように
テレビ創成期に活躍された
大先輩としてお慕いしておりました。

大橋巨泉さんは早稲田の先輩ですし、
競馬、麻雀、ゴルフという遊びを
優雅に楽しまれた生き方に傾倒していました。
人生を精一 杯楽しむという考え方に憧れていたと
言った方がいいかもしれません。
しかも戦争の悲惨さを自分の目で見た世代として、
平和主義を貫いた点でも尊敬しておりました。
知識の豊富さ、深い洞察力、ウイットにとんだ発言。
お二人とも親しく話をさせていただくことはなかったのですが、
いつかお目にかかりたい方でした。

でも、もうこれはかなわない夢となりました。
巨泉さんは56歳でセミリタイアされ、
優雅な生活をされていましたが、
私などはそれから20年も働き続けています。
現実には巨泉さんのようなわけにはなかなか行きませんが、
それだけにいい人生を送られたと感心しています。
この世を去る時も苦しまず眠るように息絶えたということは
天晴れというしかありません。

巨泉さんとは、お目にはかかっていないのですが、
ただ一度電話でお話したことがあります。
巨泉事務所所属のタレントにイベント出演をお願いした際、
マネージャーとギャラの支払いの件で
ちょっと揉めたことがありました。
私が事務所に電話すると、担当マネージャーは留守でした。
用件を伝えた途端、社長である巨泉さんが電話口に出ててきたのです。
私は緊張しながら、用件と経緯を話しました。すると
「そうでしたか。それはうちのマネージャーが悪いですね。
申し訳ありませんでした。すぐ善処させますのでご了承ください」
例の歯切れの言いしゃべり方で謝られたのです。
かっこいいなあと思いました。

威張ることもなく、人の話を客観的に聞いて非を認める潔さに
さすがと惚れ直しました。
後に参議院議員となりながら、党の考え方に納得がいかず、
議員を数ヶ月で辞職した出来事がありました。
これも、常に大儀を重んじていた巨泉さんらしい結論の出し方でした。
週刊誌に連載していたエッセーの最終回で、
安部首相への苦言を呈したそうですが、
多分私が危惧しているのと同じことを
言っておられるのではないかと想像しています。
ぜひ読ませていただきたいと思っています。
時を同じくして、お二人がこの世を去ったことは、
寂しい限りではありますが、
偉大な足跡を思い出し、
命ある限りは精一杯生きて行くつもりです。

(達人の館  代表  橘市郎)