オリンピックもとうとう閉会式を迎えますね。
深夜までテレビをつけ、朝6時になると
またテレビをつけるといった生活も終わりです。
「準備が間に合わないかもしれない」、
「治安が心配だ」といった声が聞こえてきた
リオデジャネイロの大会でしたが、
致命的な事件もなく、無事終われそうなのは何よりです。

とにかく日本人が予想以上に好成績を挙げたのは何よりでした。
メダルにこだわるのは余り好きではありませんが、
といってメダルに全く縁のない競技には燃えませんものねえ。
人間には、元来闘争本能があることは間違いない事実です。
これがあるからこそ、人類は進化してきたのも事実です。

しかし一方で戦争が絶えないのもこの本能のためではないでしょうか。
その本能を、一定のルールの下、スポーツというもので
発散させる工夫は素晴らしい発想だと思います。
ボクシング、レスリング、柔道などの格闘技は
正に闘争本能を発散させる代表的なスポーツですが、
サッカー、ラグビー、ホッケー、バスケットボール、
バレーボールなどもチームプレイで闘争本能を満たしています。
陸上、水泳、バトミントン、卓球、体操競技に至るまで、
全てがルールを守りながら闘争本能をむき出しに力を競い合います。
ルールがあるからこそそれを破ったものは
当然のように失格になります。
そしてそのルールを守りながら
相手に対する思いやりや友情が芽生えます。
闘争本能がどんなに激しくとも
相手を殺すなんてことはありません。
勝者は 祝福され、敗者は健闘を讃えられます。
何と素晴らしいことでしょう。

これに対し戦争にはルールが一切ありません。
ひとたび始まれば道徳も倫理観もなく殺しあうのです。
オリンピックというスポーツの祭典を考え出した人は、
スポーツが少しでも戦争を無くす方向に寄与すること
を期待したに違いありません。
スポーツで闘争本能を発散させ、
無益で、残酷で、凄惨な、狂気の戦いを
やめさせようとしたに違いありません。

世界中が、オリンピックでの戦いに興奮し、
感動していた間でも戦地では戦いが続いていたようです。
でも、心なしかオリンピックの間は、
少し平安だったような気がします。
戦争などやめて、一定のルールの下、
スポーツで思い切り戦いあいたいと思った人が
少しでもいたとしたら救いです。
世界の首脳たちはオリンピックの価値を再認識して、
戦争を無くし、オリンピック をこれまで以上に、
盛大に開催することを協議したらいかがでしょう。

武器、弾薬、核兵器にお金を使い、人命を奪い、
文化遺産を破壊していくことにお金を使うより、
ずっとましだと思います。
こう考えると、オリンピックにこそ
世界を平和にするヒントがあるのかもしれません。

(達人の館 代表 橘市郎)