1月18日付の朝日新聞「オピニオン&フォーラム」欄に、
天皇陛下退位のルールについて
元・最高裁判事、東北大学名誉教授の藤田宙靖さんが
受けたインタビュー記事が載りました。

実に筋が通った論理と温かい人間性に感動し、
思わず拍手をしてしまいました。
私が、思っていてもなかなか言い表せないことを
整理して代弁してもらったような気がしたのです。
さすが藤田宙靖さん! といった感じでした。

私がこんなに気安く書くのにはわけがあります。
藤田さんは私と同じ高校の出身で同級生。
しかも、いっしょにオペラをやった間柄なのです。
大森にあったご自宅にも何度か遊びに行かせてもらっていました。
もちろん藤田さんは秀才でしたが、
威張るところが少しもなく、
グループの一員としていつも溶け込んでいました。

高校1年の時は「フィガロの結婚」のバジリオを、
2年生の時は「魔笛」のパパゲーノを演じ、
客席の笑いを一身に集めていたのです。

当時は「たちばな!」、「ふじた!」と
お互いに呼び捨てで付き合っていました。
彼はピアノも習っていて、
ある塾の発表会ではいつもトリを努めるほどの腕前で、
一時は芸大に行くか東大に行くか迷っていたほどです。
発表会といっても有楽町の読売ホールでやる位レベルが高いものでした。
もし芸大にいっていたらピアニストとしても
一流になっていたと思います。
また藤田さんは、東北大学法学部の教授をしていた時、
能楽部の部長もしていました。
「法学部と農学部の部長を兼ねるなんて器用だね」と言ったら
「能楽部だよ」と笑われたのを思い出します。

やがて、彼は法律家として地位を築いていくのですが、
彼の中には芸術家としての素地が脈々として流れていたんですね。
人情の機微がわかる裁判官として彼は最高裁判事となりました。
同級生だからこそ知っている彼の側面を、ぜひ紹介したかったのです。

今回のインタビューを読んでいて、
バランス感覚を持った素晴らしい人
という評価を改めてするとともに、
いがぐり頭の少年時代の屈託のない笑顔を思い出しました。
藤田さん、天皇陛下もおっしゃったように、
あなたのような人こそ、まだまだご意見番でいていただきたいと思います。
この時代だからこそ、
世の中があなたのような人を必要としているような気がしていますので。

(達人の館 代表 橘市郎)