9月2日、春秋座でコロッケさんのコンサートがありました。
実は31日にも新歌舞伎座公演で
コロッケさんの芝居とショーを見ていたので、いいかとも思ったのですが、
京フィルさんとの共演という試みに興味があり、出かけることにしました。
京フィルさんには、オペラ『魔笛』でも、
長岡京のレ・フレール公演でもお世話になるので
コロッケさんとの相性も聴いておきたかったのです。

それと、もうひとつの理由は、私の後継者として
中日劇場から春秋座に来ていただいた舘野プロデューサーが
自信をもって実現したプログラムだったからです。
彼は春秋座のニュースレターでも、
この企画にかける意気込みを熱く語っていました。
さらに、もうひとつ「春秋座なら、コロッケさんの楽屋を訪ねてもいいなあ」
と言う甘えもありました。
商業劇場の楽屋を訪れるにはそれなりの用事がないといけません。
でも、春秋座ならあらかじめ舘野さんに話を通しておけば
許されるような気がしたのです。

実はコロッケさんが東京でデビューしたのは1980年ですが、
その翌年、まだフィーバーする前に
コロッケさんに過酷な仕事をしていただきました。
当時、私は東宝のプロデューサーをしながら、
日産自動車関係のイベントを数多く手がけていたのですが、
そのひとつに銀座ギャラリーで行われる
24時間テレビ 愛は地球を救う」の
イヴェント制作と演出の仕事がありました。

24時間ぶっ通しで日産銀座ギャラリー内の特設ステージを埋めていたのです。
どうしても真夜中になると客足も減るし、スタッフも眠くなります。
真夜中のステージを努めてくれるエンターティナーを探すのは毎年大変でした。
売れっ子はギャラも高いし、大体引き受けてくれません。
その時思いついたのが、まだ売れてはいないが面白くて、
質の高い芸を持ったコロッケさんだったのです。
コロッケさんは快く真夜中のステージを受け持ってくれました。
予想通り客席は大受け。
間もなくフィーバーするに違いないと誰もが思ったステージでした。

それにしても、これは36年前のこと。
コロッケさんが私のことを覚えてくれているか心配でした。
しかも、回目のショーが熱演のため
予定を30分もオーバーするという状況だったのです。
館野さんにすぐ楽屋の方に来てくださいと言われ駆けつけると
コロッケさんは楽屋の入り口に居てくれました。
「まだデビューしたての頃だったので良く覚えています。
ギャラリーの中にステージが組まれていて、
真夜中だというのに大勢の人が聴いてくれていました」
もちろん私のことを覚えているというのではなく
その時の状況を覚えているということです。

でも、うれしかったですねえ。
どのタレントさんもデビュー時の苦労したことは覚えているようです。
握手をして楽屋を後にした私は
回目のステージをスタッフ席から拝見しました。
20分近くシェイプアップしてのステージでしたが、
京フィルとの共演が楽しく質の高いステージでした。
コロッケさん、館野さん本当にありがとうございました。

(一般社団法人 達人の舘 代表 橘市郎)