新年明けましておめでとうございます。
今年も現役を続けますので
どうぞご支援のほどよろしくお願い致します。

さて、少し古くなりますが、
昨年の有馬記念は北島三郎さんの持ち馬
キタサンブラックが引退を飾るレースで見事優勝を果たしました。
まだまだ元気に活躍できる馬を引退させるのは、
もったいない気もしますが、
これこそ北島さんの馬主としてのポリシーで、
ここまで頑張ってくれた愛馬への優しさが感じられます。

功なり名を遂げた馬を無事に引退させてやりたいという気持ちは、
単に賞金を稼いでくれた競争馬としてではなく、
わが子に対する親心のようなものです。
キタサンブラックはいい馬主に恵まれて幸せものでした。

北島三郎さんは日劇に昭和41年、42年、43年と3回出演されていますが、
1回目の昭和41年2月のショーは私が舞台監督を務めていました。
北島さんは当時、中野区の野方に住んでいらっしゃいました。
ご自宅で打ち合わせをした時、部屋に馬の写真が飾られていました。
北島さんはすでにこの時から馬主だったのです。
その馬の名前はリュウという名の馬でした。
北島さんは「龍」のつもりだったかも知れませんが、
オペラ好きな私には「トゥーランドット」に出てくる
やさしい女性リュウを連想させたので、
この馬の名前が記憶に残っています。

その北島さんのショーで私は、とんでもない事件に巻き込まれました。
北島さんがエプロンステージで「間一格剣友会」と立ち回りをしている時、
北島さんの刀の刃の部分が突然抜けてしまったのです。
柄だけでは立ち回りにもなりません。
客席は爆笑の渦。
喜劇のギャグとしては最高ですが、
シリアスな場面だっただけに芝居はぶち壊しです。

操作盤の脇でモニター・テレビを見ていた私は
どうしようもなく成り行きを見守っていました。
数秒後、剣友会の5~6人が血相を変えバタバタと引っ込んでくるや
「舞監(舞台監督)はいるか?」と怒鳴りました。
そして、私を見るや「良くも座長に恥をかかせたな!」と
私に殴りかかろうとしました。
それを間に入って止めてくれたのが、出番待ちをしていた
てんぷくトリオのリーダー三波伸介さんでした。
彼は体も大きく偉丈夫な人でした。
「舞台監督に当たったってしょうがない!」と私を庇ってくれたのです。

私もすぐに北島さんの楽屋に行き謝りました。
「刀のメクイが抜けたようです。申し訳ありませんでした。
小道具係の確認が甘かったとはいえ、舞台監督の責任です。
このようなことが2度と起こらないよう
徹底いたしますのでどうかお許しください」。
すると北島さんは
「珍しいことがあるもんだね。気にしない。気にしない」
と言ってくれたのです。
26
歳の新人舞台監督の苦い思い出ですが、
北島三郎さんの大らかさは今も忘れられません。
今から51年前のことですが、現在の北島さんを連想させる出来事でした。

(一般社団法人 達人の舘   代表 橘市郎)