6月の終わりから7月の初めにかけては、いろいろなことがありました。
まず、今年8歳になった一番若い孫が6月30分日に誕生日を迎えました。
翌7月1日は私の78回目の誕生日で色々お祝いの言葉をいただきました。
ところが同じ7月1日に訃報が届いたのです。
私の3歳年下の妹光子が亡くなったのです。

良く、盆と正月が一緒に来たようだといいますが、正しくそんな感じでした。
光子は私より3歳年下でしたが、
2016年2月に光子の夫が亡くなった時には、
すでに身体を悪くして施設に入っていました。
急というわけではありませんがショックでした。
私が病み上がりということで、光子の娘をはじめ、
周りの人々からお葬式に出席することは控えたほうがいいといわれ、
もう少ししてからお線香をあげに行こうと思っています。


光子について昔を知っている方は少ないと思いますので、
追悼の意味でご紹介させていただきます。
光子は三味線の名手であった母親の血を引いたせいか、
少女時代から芸事に興味を持ち、憧れの松竹音楽舞踊学校(SKD)に入学。
卒業後は浅草の国際劇場で活躍していました。

芸名を東京子(あずまきょうこ)と名のり、
「ファイヴ・フェザーズ」の1員として活躍していました。
先輩の沖千里さんに可愛がられたり、
倍賞千恵子さんに似ていることから代役に起用されたりしていました。
私が東宝に入る以前から松竹にいたんですね。

退団後にはファンが経営していた、
おにぎりやさんを手伝ったりしているうちに、
夫となる男性に出会い結婚。
夫が継いだ「日光や」という草履屋さんの老舗を守ってきました。
今考えればそれがハードだったのかもしれません。
でも、元気に全国を飛び回っていたようです。
本当に働き者でした。

妹にお世話にこそなりながら、何も力になってやれなかった兄。
「ご免!」というばかりです。
幸いに店は息子が継いでいるし、
娘はいい旦那に恵まれ頑張っているので、安心です。
「後悔先に立たず」を実感している兄だけが不甲斐ないと思っています。
妹よ安らかに眠っておくれ!と祈るばかりです。

 (一般社団法人  達人の館  代表 橘市郎)