私より10年も先輩なのにお元気に活動されている宝田さん、今はお好きな麻雀も出来ず体力をもてあそばれている事でしょう。

宝田さんは私が日劇で舞台監督をしていた時から東宝映画のスターとして毎年正月公演に出演されていましたが、本当に苦労をともにしたのは、私が渋谷のジャンジャンで公演されたミュージカル「ファンタステイックス」の演出助手をした時からです。

演出の中村哮夫さんに声をかけられ、ミュージカルが大好きだった私は二つ返事で引き受けたものの、それはそれは過酷なものでした。稽古の時間といったら宝田さんの映画撮影が終わった後ですから、どうしても深夜になります。逆に関係者のほとんどが揃うのでいい稽古にはなりましたが、私は昼間日劇、夜ジャンジャン、合い間にアルバイトのクイズ作りというハードなもの。原宿の安宿に泊まる日が多かったのも懐かしい思い出です。

このミュージカルは「紀伊国屋演劇賞」をいただくと全国から声をかけられるようになり、旅公演で行動を共にすることが多くなりました。そんな訳で「フアンタスティックス」に対する宝田さんの思い入れは強く、私が京都の春秋座で仕事をするようになってからも売り込まれ、公演が実現したのです。

一方の私もこの作品が忘れられずプロデューサーの松江陽一さんと演出の中村哮夫さんのご了承をいただき新に全国公演を企画いたしました。宝田さんは多忙のためエルガヨ役は故・林隆三さんと横内正さんにお願いしたのですが、さぞや悔しかったと思います。でも「エルガヨ役は俺の持ち役だ」という自信があったようで、何もおっしゃらないのが印象的でした。

宝田さんは、「ファンタステイックス」でマット役を演じていた沢木順さんがプロデュースするクリスマス公演に出演するため毎年、大阪の心斎橋劇場に来られていました。ショーを見た後、楽屋にお尋ねすると何時も懐かしそうに迎えてくれるのです。今は麻雀が出来ないので何をしてストレスを解消しているのでしょうか? 戦争中の苦労話とともに、戦争は絶対にしてはならないと何時も力説している宝田さん、どうかお元気でまた関西にいらして下さいね。

(音楽・演劇プロデューサー   橘市郎)