宇田さんは私がお世話になった東宝演劇部の先輩であり、私の上司でした。私が契約者であるのに対し、宇田さんは社員プロデューサーとして活躍されていました。
一般の方はそのお名前をご存じないかも知れませんが、萩本欽一さん、綾小路君麻呂さん、故ポール牧さんなどの育ての親で、東京デズニーランドの初代エンターテイメイント部長といったら吃驚されることでしょう。
宇田さんはあくまでも東宝の社員である立場を守っていましたので、むしろ裏方として職務を全うされていたのです。 宇田さんは音楽に関しては私を立ててくださり、演劇部の課長としてニューヨークに勤務されている時には、お土産に「ミスサイゴン」、「ハロードーリー」、「ショーボート」などのCDをいただいたものです。
日本初演のミュージカル「グリース」の制作をやらせていただいたのは正しく宇田さんのお陰でした。
一方無類の競馬通で、私に競馬の面白さを教えてくれた恩人でもありました。
私の後輩、演出家の平林敏彦さんと3人で長いこと楽しんでいた単勝当てゲームが忘れられません。宇田さんは情熱家でゴール前の柵に沿って馬と一緒に走ったり、亡くなった後輩を送る時スクラムを組んで、「別れのワルツ」を斉唱することもありました。
私たちスタッフは温かい人柄を慕い、最近まで宇田さんを中心に集まっていましたがこのご時勢、それも中断しています。宇田さんは京都大学の出身なので、めぐり巡って私が京都に住むようになったのも何かのご縁だと思っています。
宇田さん、本当に宇田さんにはいろいろお世話になりました。身近に存在していた人の偉大さをともすれば気付かずにいた自分を恥じています。
コロナ騒ぎが落ち着いた時にはぜひまたお話しさせてくださいね。
(音楽・演劇プロデューサー 橘市郎)