「吉永みち子」、競馬好きな人はこの名前を見たら、ミスターシービーで3冠騎手になった故・吉永正人騎手の奥様である事がわかると思いますが、若い人にとっては作家でありコメンテイターであることの方が通りがいいかも知れませんね。

今日はみち子さんと私の繋がりを紹介したいと思います。
私が初めて競馬に出会ったのは帝国ホテルのレストランシアターの楽屋で、アサデンコウのダービー優勝を観戦した時ですから30歳近かったと思います。どちらかといえば奥手でした。しかし、骨折しながら3本脚でゴールした馬の姿に感動してすっかり競馬ファンになってしまった私は、生まれたばかりの長女を抱っこした妻を誘って中山競馬場に行ったのです。
その日はビギナーズラックと言うもので、何とホテルに1泊するほどのプラスでした。儲けさせてくれたのが吉永正人騎手。それ以来私は熱狂的な吉永ファンになってしまったのです。1頭だけ離れた後方から行って直線一気に追い込む大胆な騎乗は、正に薩摩男の魂を見た感じでした。

その頃の「競馬報知」に、ファンが好きな騎手に会ってインタビュー出来る紙面がありました。私は駄目もとで応募したところ当選。憧れの吉永騎手との対談が実現したのです。思った通り彼は朴訥でしたが実に人間性を感じさせる人でした。

一方、当時みち子さんも競馬記者として活躍していましたが、吉永騎手の男らしい騎乗ぶりにすっかり惚れ込んでいたようで、先妻の奥さまを病気で亡くされ落ち込んでいた彼を助けたいという気持ちで一杯でした。お母様の反対を押し切って押しかけ女房同然に再婚を果たします。吉永騎手が三冠馬騎手となった菊花賞での騎乗ぶりを批判され時、私は彼のレース振りを弁護する手紙を出したのですが、その礼状をくれたのが妻みち子さんでした。

吉永騎手が毎朝枕の下に置いた私の手紙を見てから調教に出かける様が書かれていました。それ以来、私はみち子さんの作家としての才能を認め、陰ながら応援して来ました。「気がつけば騎手の女房」以来、みち子さんは期待通り次から次へと作品を書き続けました。みち子さんが一流の作家として世に出たのは当然です。そのうちコメンテイターとしても高い評価を受けたのは周知の通りです。そのうえ彼女は母親としても苦労されて来ました。

みち子さんとはその後も年賀状などの交換が長い間続いていましたが、私が病に倒れてからは文通が途絶えています。多分私が引っ越し先を知らせていないのかも知れません。ごめんなさい。来年はあらためて連絡させていただきますね。健康に気をつけられ益々ご活躍されることを祈っています。
(音楽・演劇プロデューサー   橘市郎)