京都造形芸術大学の創立者である元理事長徳山詳直先生が
10月20日に亡くなられました。
風邪をこじらせて今年の卒業式や入学式に出られなかったのですが、
新年早々には「病院から抜け出してきました」と元気にご挨拶されていたので、
まさかと言う感じで、すぐには信じられませんでした。80歳になられた時も
「もういい加減に引退しろと言う人もいるかもしれないけれど、
まだまだ働かせてください。私は血の最後の一滴まで戦い抜きます」
と、世の中が戦争や不条理に満ちていることを嘆かれ、
また藝術こそが21世紀を救うという持論を力強く述べていらっしゃいました。
また、核こそ現代の悪魔であると福島の事故が起こる以前から
核廃絶を訴え続けていられたことも忘れられません。
常に正論を堂々と語られていた先生は、
教職員からも学生からも尊敬され、また愛されていました。
4月の給料と賞与は直接手渡され、
一人ひとりの労をねぎらい握手をされるのが慣わしでした。
教職員が学生のことを悪く言おうものなら大変だったことでしょう。
「大学は学生のためにあり、教職員は学生がいるから存在できる。
何事も学生第1に考えてほしい」
と常におっしゃっていたからです。
本当に素晴らしい教育者でした。
かと思うと砕けた話をしてみんなをリラックスさせてくれたりもしました。
大学内に日本初の歌舞伎劇場「春秋座」を建ててくれたのも
詳直先生の英断でした。
市川猿翁(3代目猿之助)と意気投合して建ててしまった
と言った方が正しいかもしれません。
熱烈な恋愛の末に生まれてきた子供のように、
春秋座は今すくすくと成長しています。
スケールの大きいお二人がいなかったら、
この時代に歌舞伎劇場など生まれなかったでしょう。
私が京都に来られたのも元をただせばお二人のお陰なのです。
私がふと先生に
「理事長の生い立ちを映画化したら面白いと思いますよ。
この波乱万丈の人生は映画でないと描けません。
でも、この大学には映画監督もいるし、脚本家も美術デザイナーもいます。
みんなが協力すればそんなに難しいこととは思いません。
理事長の役は香川照之さんがぴったりだと思います」と漏らした言葉。
映画界のことは良く分らないからこそ出た思い付きだったのですが、
先生は香川さんを直接口説き
「その時はぜひやらせていただきます」
と言わせてしまったのです。
香川さんの外交辞令かもしれませんが、
私にはこの話がいつか実現すると思えてなりません。
本当は詳直先生がお元気なうちに実現すれば良かったのですが、
これからだっていいじゃないですか。
映画化が実現した時には先生の生き様に多くの人が感動すると信じています。
詳直先生、いろいろとやりがいのある仕事を与えてくださり
ありがとうございました。
ゆっくりお休みになることがなかったと思われる先生。
どうぞ、今は安らかにお眠りください。 橘市郎
10月20日に亡くなられました。
風邪をこじらせて今年の卒業式や入学式に出られなかったのですが、
新年早々には「病院から抜け出してきました」と元気にご挨拶されていたので、
まさかと言う感じで、すぐには信じられませんでした。80歳になられた時も
「もういい加減に引退しろと言う人もいるかもしれないけれど、
まだまだ働かせてください。私は血の最後の一滴まで戦い抜きます」
と、世の中が戦争や不条理に満ちていることを嘆かれ、
また藝術こそが21世紀を救うという持論を力強く述べていらっしゃいました。
また、核こそ現代の悪魔であると福島の事故が起こる以前から
核廃絶を訴え続けていられたことも忘れられません。
常に正論を堂々と語られていた先生は、
教職員からも学生からも尊敬され、また愛されていました。
4月の給料と賞与は直接手渡され、
一人ひとりの労をねぎらい握手をされるのが慣わしでした。
教職員が学生のことを悪く言おうものなら大変だったことでしょう。
「大学は学生のためにあり、教職員は学生がいるから存在できる。
何事も学生第1に考えてほしい」
と常におっしゃっていたからです。
本当に素晴らしい教育者でした。
かと思うと砕けた話をしてみんなをリラックスさせてくれたりもしました。
大学内に日本初の歌舞伎劇場「春秋座」を建ててくれたのも
詳直先生の英断でした。
市川猿翁(3代目猿之助)と意気投合して建ててしまった
と言った方が正しいかもしれません。
熱烈な恋愛の末に生まれてきた子供のように、
春秋座は今すくすくと成長しています。
スケールの大きいお二人がいなかったら、
この時代に歌舞伎劇場など生まれなかったでしょう。
私が京都に来られたのも元をただせばお二人のお陰なのです。
私がふと先生に
「理事長の生い立ちを映画化したら面白いと思いますよ。
この波乱万丈の人生は映画でないと描けません。
でも、この大学には映画監督もいるし、脚本家も美術デザイナーもいます。
みんなが協力すればそんなに難しいこととは思いません。
理事長の役は香川照之さんがぴったりだと思います」と漏らした言葉。
映画界のことは良く分らないからこそ出た思い付きだったのですが、
先生は香川さんを直接口説き
「その時はぜひやらせていただきます」
と言わせてしまったのです。
香川さんの外交辞令かもしれませんが、
私にはこの話がいつか実現すると思えてなりません。
本当は詳直先生がお元気なうちに実現すれば良かったのですが、
これからだっていいじゃないですか。
映画化が実現した時には先生の生き様に多くの人が感動すると信じています。
詳直先生、いろいろとやりがいのある仕事を与えてくださり
ありがとうございました。
ゆっくりお休みになることがなかったと思われる先生。
どうぞ、今は安らかにお眠りください。 橘市郎