一瞬の静寂

音楽・演劇プロデューサー・橘市郎のブログ。日々思ったことを綴っています。 東宝(株)と契約し、1973年にプロデユーサーに。1981年独立後は、企画制作会社アンクルの代表をつとめ、中野サンプラザからの委嘱で「ロック・ミュージカルハムレット」「原宿物語」「イダマンテ」を、会社解散後は「ファンタステイックス」「ブルーストッキング レデイース」などのミュージカルを制作。 2001年京都芸術劇場の初代企画運営室長。

2015年04月

川越塔子リサイタルの曲目が決定いたしました!


♪Rossini〈Il Barbiere di Siviglia〉

Una voce poco fa
ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」
今の歌声は
♪Bellini〈Norma〉
Casta Diva
ベッリーニ「ノルマ」
浄き女神
♪Verdi〈Rigoletto〉
Caro nome
ヴェルディ「リゴレット」
慕わしい人の名は
♪ピアノソロ 曲目未定
♪Verdi〈La Traviata〉
E' strano…
ヴェルディ「椿姫」
不思議だわ…

休憩

♪Puccini〈La Rondine〉
Chi il bel sogno di Doretta
プッチーニ「つばめ」
ドレッタの夢の歌
♪Catalani〈Wally〉
Ebben, n’andro' lontana
カタラーニ「ワリー」
遠くへ行きます
♪Puccini〈Madama Butterfly〉
Un bel di' vedremo
プッチーニ「蝶々夫人」
ある晴れた日に
♪Puccini〈Madama Butterfly〉
Tu, tu, piccolo iddio
プッチーニ「蝶々夫人」
可愛い坊や
♪ピアノソロ 曲目未定
♪Puccini〈Tosca〉
Vissi d’arte, vissi d’amore
プッチーニ「トスカ」
歌に生き、愛に生き

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来月、京都コンサートホールで
川越塔子さんのリサイタルを行います。

川越さん
には常識を覆す才能があるようです。
東大の法学部を卒業してから
オペラ歌手になったという生い立ちに始まって、
どちらかといえば軽い声の役どころがレパートリーと
思っていた人たちを唖然とさせました。

声をつぶされては困ると反対する人もいたのに
「ラ・ボエーム」のミミを見事に演じ切ってしまったかと思うと、
その2年後には、プッチーニ作品では、最もハードな役といわれる
「蝶々夫人」のタイトルロールを克服。

平成26年には「椿姫」のヴィオレッタ役を射止めました。
今回の全編オペ ラアリアのプログラムも常識を超えた試みです。
しかし、

歌曲や民謡がアリアより負担が少ないという認識は
私の中にはありません


と、言ってのける川越さん。これこそ彼女の真骨頂です。


ぜひ、お誘い合わせの上、
「川越塔子リサイタル」へ足をお運びください。



橘市郎(春秋座 顧問プロデューサー・達人の館 代表)



川越塔子 Toko Kawagoe

20141220l東京大学法学部卒業、武蔵野音楽大学大学院修了。日本オペラ振興会オペラ歌手育成部20期生修了。平成14年度文化庁新進芸術家国内研修員。平成18年度文化庁新進芸術家海外留学制度研修員として06年から1年間ローマに留学。その後、再度渡欧しフランス、イタリアで研鑽を積む。第3回オペラティック・バトル「明日のマリア・カラス ぼくらのドミンゴを探せ!!」にて第1位。04年藤原歌劇団に「イル・カンピエッロ」のガスパリーナでデビューを飾り、09年「愛の妙薬」のアディーナに出演。12年「フィガロの結婚」のスザンナに出演し絶賛を博した。その他これまでに、日本オペラ協会「夕鶴」のつう、「天守物語」の富姫、「高野聖」の女、ミラマーレ・オペラ「ラ・ボエーム」のミミ、「秘密の結婚」のエリゼッタ等多数のオペラ公演で主役に出演し、好評を博している。また、各種コンサートへの出演も多く、10年より年に1度都内でのソロ・リサイタルも開催している。藤原歌劇団団員。


4月2日、大阪新歌舞伎座に行き、
細雪」の舞台稽古を見てきました。
初演以 来32年間、演出を担当している
水谷幹夫さんが声をかけてくれたのです。
彼は東宝演出部の同期生ですが、
それ以上にポン友として長いお付き合いをさせてもらっています。
麻雀に競馬といった共通の趣味が、
お互いの信頼感を高めたのですから不思議ですね。

私も彼も東京の下町生まれで、
江戸っ子気質のところが合うのかもしれません。
彼には気風の良さがあり、
賭け事をしてもフェアプレイといった感じで実にすがすがしいのです。
曲がったことが大嫌いで、人に優しいのですから
男性からも、女性からも好かれるのは当たり前です。

「細雪」は上演回数が1500回を越えたそうですが、
一貫して水谷さんが演出をしてきた事実は、
彼の人柄がこの作品を支えてきたことを
証明しているのではないでしょうか。
緞帳が上がった瞬間、「これが商業劇場のお手本だ」と
言わんばかりのセットが現れました。
大阪船場の屋敷の豪華さに圧倒されます。
上手に吊られた桜の枝が春の匂いを伝えるなかで、芝居が始まり、
四人姉妹の性格の違いが、短時間のうちに描かれます。
場面変わって芦屋の洋館。今度は桜の吊り枝が下手上にあり、
同じ春でありながら、雰囲気ががらりと変わります。
このように計算されつくされた舞台装置の中で、
ドラマが進行していく見事さはさすがと言うほかありません。
いろいろあって、最後に四人姉妹が
4台のピンスポットの中で語り合う場面は、
満開の桜の下、まさに幻想的でした。

台本が練りに練り上げられたものになっているので、無駄がない。
その上、人物の配置が実に美しく、どこを取っても絵になっている。
友人の演出した舞台という身びいきでなく、
本当に良く出来た芝居だと思いました。
四人の女優さんもそれぞれの性格を良く演じていて好演でしたし、
豪華な衣装を美しく着こなしていました。

私が最近企画している作品が商店街の小さな店とすれば、
この「細雪」は一流のデパートのような作品でした。
世の中にはいろいろなものが存在しているから楽しいのです。
どちらが良くてどちらが悪いというものではありません。
私は素直に水谷さんが名演出家になったことを喜びました。
この日、やはり長い間プロデューサーを努めて来られた
酒井喜一郎さんともお会いできました。

酒井さんは私の高校の先輩でもある方です。
そして、素晴らしい舞台装置をデザインした石井みつるさんは、
何と春秋座のオペラ「椿姫」の美術を担当してくれた方です。
方やお金をかけず、知恵を使って考えてくれたセット。
方や思う存分お客様のために、お金をかけたセット。
石井さんは言ってくれました。
「ああして苦労した仕事も楽しかったです。またやらせてください」
この石井さん、実は、「椿姫」を見てすっかり、
川越塔子さんのファンになってしまったそうです。
「声や美貌はもちろんのこと、
役を内面から、表現しているのが素晴らしい。
ヒロインの情 念が乗り移っているようでした」。

「細雪」の舞台装置をデザインした石井みつるさんが絶賛する
川越塔子さんのリサイタルは、
5月16日(土)
1ヶ月後に迫りました。どうぞお見逃しなく。

昨日、昭和音楽大学の客員教授 広渡勲さんと京都のホテルで会いました。
数日前、「同世代の友人が次々と亡くなるので、
明日はわが身という切実な思いがする。
元気なうちに京都の桜と紅葉を見たくなった」
と電話が入り突然京都にやって来たのです。

彼は早稲田演劇専修の同期生で何かと縁がある貴重な友人です。
学生時代は彼が博多から出てきて下宿していたので、
よく私の母親の手料理を食べにやってきました。
私の方も小奇麗な彼の下宿に押しかけ、
悪友と長時間麻雀をやったものです。
彼は自分ではあまり参加せず、
おいしいコーヒーをこまめに入れてくれました。

卒業公演では、一緒にモーツァルトのオペラ
「イドメネオ」の初演を成し遂げました。
彼はもともと邦楽をやっていて歌舞伎に詳しく、
オペラに関しては私に引っ張り込まれた感じでした。
私は逆に彼から歌舞伎についていろいろ教えてもらったものです。

大学を卒業する直前に、
黒田恭一さん(著名 なオペラ評論家ー故人)から紹介された
演出助手のアルバイトに彼を誘って参加。
私は2公演目の途中でやめましたが
彼はそのままスタッフクラブに所属していました。
後に彼がオペラ制作の世界に入るのも
この時のご縁があったからだと思います。
その後、私は東宝演劇部と契約するのですが、
何とある日東宝本社で彼とバッタリ会うのです。
彼も東宝の演劇部に入っていたんですね。

彼が第1演劇部、私が第2演劇部だったので気がつかなかったのです。
帝劇の杮落とし公演「スカーレット」や
ミュージカル「歌麿」ではいっしょになりました。
やがて彼はNBSという招聘業務の会社で華々しい活躍をします。
世界の一流ミュージシャンと親交を重ね、
日本にはイサオが居ると信頼を勝ち得ます。

春秋座が軌道に乗り、劇場運営が先生方の研究組織に委ねられた時点で、
私は東京に戻るのですが、
その時、昭和音楽大学に誘ってくれたのが、広渡さんでした。
彼はNBSを辞め、大学でアートマ ネージメントを教えていたのです。
性格も生き方も全く違うのに何かと縁があるんですね。
長々と書いてきましたが、そんな彼が弱気になっているので
心配して会いに行ったのですが、彼は全く元気でした。
「前の日に京都に入って、今日は平等院~醍醐寺~伏見稲荷と回って来た」。
しかも伏見稲荷では頂上まで歩いたというんです。
そして、今日も清水寺~高台寺~円山公園~寺町通りと移動。
三嶋亭ですき焼きを食べて帰京するとメールが入りました。
大丈夫、彼はまだまだ生き続けます。
あの軽いフットワークはどう見ても50代です。
私も彼にあやかり元気にやって行きたいと思います。
達人の館の企画を彼はほめてくれました。
また何かでご縁が出来るかもしれませんね。

達人の館 代表 橘市郎

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