一瞬の静寂

音楽・演劇プロデューサー・橘市郎のブログ。日々思ったことを綴っています。 東宝(株)と契約し、1973年にプロデユーサーに。1981年独立後は、企画制作会社アンクルの代表をつとめ、中野サンプラザからの委嘱で「ロック・ミュージカルハムレット」「原宿物語」「イダマンテ」を、会社解散後は「ファンタステイックス」「ブルーストッキング レデイース」などのミュージカルを制作。 2001年京都芸術劇場の初代企画運営室長。

2015年08月

昨日、日本各所で行われた
法案反対のデモはインパクトがありましたね。
一切暴力のない整然としたデモは、
如何にも日本的で気持のいいものでした。
これだけの訴えかけに、首相が
馬耳東風というわけにはいかないでしょう。
来週の日曜日には、さらに参加者が増えることを期待しています。
後で後悔しないためにも、
できるだけの声を あげたいものです。

ところで、10日ほど前に朝日新聞に載った
ノルウエーの社会学者ヨハン・ガルトゥング博士の
インタビュー記事を読まれた方はいらっしゃいますでしょうか?
私は不勉強で博士の著作を読んでいなかったのですが、
おっしゃっていることが、私がこのブログで書いていることと
近いのにびっくりいたしました。
もちろん、造詣の深さや専門的な言い回しは違うのですが、
例えばこんなことを言っておられます。

日本は第9条憲法を安眠枕としているだけでなく、
 国連の場で各国が9条を取り入れるよう働きかけるくべきである。

私の言う「積極的平和主義」と
 安部首相の言う武器や派兵による「積極的平和主義」とは違う。

領土問題は100パーセント
 どちらのものと言っていては解決しない。
 ことによっては共通の土地としてお互いが
 共同で管理するのも手段として考えられる。

要は、あくまでも武力ではなく会話(外交)によって
平和を実現していくべきという趣旨です。
博士は、実際に戦争をやめさせるために仲裁の労を取り、
成果も挙げています。
こういう考えを持っている人がどんどん出て来てくれるといいですね。

それにしても、「日本国民の命と安全を守る」と言いきり、
憲法違反の疑いを持たれているこの法案を
強引に通していい筈がありません。
この法案が相手を刺激して、
かえって「日本国民の命と安全」を
脅かすことになるとは思わないのでしょうか?
日本の強みはソフトな外交、
ソフトな平和戦略が素直に受け入れられる立場にあるということです。

こうむった痛手を実感し、
平和憲法を70年 守ってきた実績があるからです。
何としてもこの法案は通してはいけません。
日本人が如何に平和を希求しているか、
世界に対しアピールする意味でも、このデモ運動は有効だと思います。 
(達人の館 代表 橘市郎)

8月15日(土)と16日(日) の2日間、
大阪藝術学舎で「戦後の昭和歌謡史」という
集中授業をやってきました。
合計10時間の授業でしたが、熱心な受講生のお陰で
気持ち良く終わらせることが出来ました。

20代から70代の幅広い受講生が、
九州から東北まで合わせて20名集まってくれました。
やや女性が多かったのですが、
それぞれに思い 出深い曲があるようで、
懐かしがったり、好きな曲が聴けなかったといって
残念がったりしていました。
年代順にその時代の出来事を写真で紹介し、
当時はやった曲を聴かせたのですが、
日劇ウエスタンカーニバルや
日劇さよなら公演の模様は映像で紹介しました。

戦災による焼け野原の中、
復興を目指して立ち上がる人々を励ましてくれた歌、
戦争で夫を亡くした女性がたくましく生きていく様を歌った曲、
テレビのない時代、心を慰めてくれたラジオ歌謡の数々。
確かに「歌は世につれ」だなと実感してくれたようでした。
経済成長を遂げる中で、三人娘や御三家が登場して来たり、
学生の中からフォークシンガーが
生まれてくる流れも掴んでくれたようでした。
それにしても、昭和39年の東京オリンピックを
ひとつの頂点として、その後歌謡曲の世界が
多様化していく様子を改めて知ることが出来たのは、
私にとっても収穫でした。

そして、好きな歌を自由に作り、
自由に歌えることが如何に幸せなことかを噛みしめました。
軍歌一筋だった時代が2度と来ないことを祈りたいものです。

この講座は、「江藤ゆう子 昭和を歌う」の
5回シリーズを構成したことが、大いに役立っています。
江藤ゆう子さんに感謝しないといけま せんね。

最終回の昭和60年代編は10月17日に
NAM HALLで行われますが、
今回は16時の回が完売、
13時の回は後10枚ほど残っています。
まだお申し込 みされていない方はお急ぎください。
季節的に最高な京都の10月中旬、
皆様にお目にかかれるのを楽しみにしています。

(達人の館 代表 橘市郎)

1010日、春秋座で開催される
アルゼンチンタンゴ・コンサートに、
歌手として出演される、なかにし陽子さんが
取材のため京都に来てくださいました。

当日の87日は何と37度の猛暑日、
タクシーの順番を待っている間だけで

汗びっしょりという悪コンディションでした。

それでも、嫌な顔ひとつしない気さくな方でした。


最初の京都民報の取材で、
私も初めて
なかにしさんが
歌手になるまでの経緯を知りました。
小さい時からピアノをいじり、
アドリブで演奏するのが好きだったそうです。
でも、音楽学校へ進学するようなこともなく、
大学も名古屋の一般大学を卒業。

家庭の事情でヤマハの講師をしたり、
レストランでピアノを弾いて生活の糧を得ていました。
そのうちに歌も歌ってというリクエストで
弾き語りをはじめるとこれが何と大受け。
あちこちから声がかかり大忙しの毎日となります。


たまたま東京から来たお客さまの中に、

音楽評論や作詞をされる方がいて、

なかにしさんにタンゴを歌うことを薦めます。
タンゴについて全くといっていいほど知識がないまま
東京に出てプロの歌手になったものの、
最初はシャンソン、カンツォーネ、
ミュージカルナンバーなども歌っていました。


本格的にタンゴ歌手の道を歩み始めたのは、30歳過ぎてから。
単身でアルゼンチンに行き、
いろいろ怖い思いや、
耐乏生活をしながら本場のタンゴに触れ、
また現地の一流ミュージシャンとの交流も深めて行きます。


とにかく、冒険心と好奇心があり、
実行力のある
なかにしさんの体験談を聞いているうちに、
私は指揮者の小澤征爾さんを思い出しました。
もともと才能のある人が才能を開花させる道程に

共通のものを感じたのです。
京都新聞社の取材でも、
笑いが絶えないトーク番組を見ているようでした。
今回は、テレビやラジオの取材が組めなかったので、
9月にもう一度来ていただいて、

トークと歌声を皆様に聴いていただきたいと思っています。

翌日、なかにしさんのCDを聴かせてもらいましたが、

澄んだ声、美しい日本語、
そして天性のリズム感と正確な音程に魅了されました。

達人の館を始めてから、

次々と個性ある達人に出会えて、私は幸せです。
この感動をぜひ皆様に伝えて行きたいと
思いを新たにいたしました。

1010日、ぜひ春秋座にお越しいただき、
なかにしさんの素晴らしい歌声をお聴きください。

きっと感動されると思います。


(達人の館 代表 橘市郎)

「アルゼンチンタンゴ・コンサート」の
前売りが始まって2週間経ちました。
お陰さまで、階は後ろの列と
桟敷席を残して埋まってきました。
年配の方から、いい企画を実現してくれたと
言われて気を良くしている所です。

今日もこれからDMを出そうとしていましたが、
国会中継を見ているうちに、居ても立ってもいられなくなり
パソコンに向かっています。
今、日本を取り巻く状況が変わってきたと、
北朝鮮が弾道ミサイルの実験を繰り返していること、
中国が南シナ海の領海ぎりぎりの所で、
資源開発を始めようとしていることを、
自民党の議員が図と写真を示しながら伝えていました。
それはまるで、今にも戦争を仕掛けてくるような雰囲気のものでした。

危機感を煽り、だからこちらも武力で備えをする必要がある
と言うように受け取れました。
戦争が起こる前の典型的なパターンです。
お互いに相手を疑い、威嚇しあう。
どの国とも仲良くしていかなければならないのに徒党を組み、
敵国を作っていく。

武力を誇示してエスカレートしていくことが、
世界平和に繋がらないことは明白です。
一度武力に頼ってしまうとお互いに歯止めが利かなくなり、
まずいと思いつつも、
そこから抜け出せなくなって悩んでいるのが核保有国です。

日本だって武力で平和と安全を守ろうとすれば、
究極的には核を持つと言うこ とになりかねないのです。
唯一の被爆国であり、
原発事故被害で今も故郷に帰れない方たちのいる日本が、
決して辿ってはならない道です。

日本はいかなる場合も中立で、
戦争をしない国であることをアピールしていくことが
何よりも抑止力になるのです。
周囲の状況にあたふたとせず、
泰然自若として「武器よさらば」を訴える勇気を持ちたいものです。

それには、まず今回の法案を廃案にして、
どうしたら日本が戦争をしないですむのかをじっくり討論することです。
数を武器にして、違憲かもしれない法案を強引に通し、
言論統制さえしかねないやりかたで突き進むことは許せません。
「平和を希求し、自分からは決して戦争を仕掛けない国に
攻め込んでくるような国がいたら、この世は生きるに値しない」
と言っていた作家の山口瞳さん。
これこそ勇気ある抑止力ではないでしょうか。
(達人の館  代表  橘市郎) 


↑このページのトップヘ