一瞬の静寂

音楽・演劇プロデューサー・橘市郎のブログ。日々思ったことを綴っています。 東宝(株)と契約し、1973年にプロデユーサーに。1981年独立後は、企画制作会社アンクルの代表をつとめ、中野サンプラザからの委嘱で「ロック・ミュージカルハムレット」「原宿物語」「イダマンテ」を、会社解散後は「ファンタステイックス」「ブルーストッキング レデイース」などのミュージカルを制作。 2001年京都芸術劇場の初代企画運営室長。

2016年03月

昨日、BSテレビで大相撲昭和の名勝負という番組を見ました。
私は少年時代、栃錦(後の春日野理事長)の熱狂的ファンでした。
体重が100キロ未満、身長も176センチという恵まれない体ながら
稽古で鍛えた筋力と足腰の強さは抜群、
その上、敏捷な技と不屈の闘志が生み出す取り口は魅力いっぱいでした。

出し投げ、ひねり技、二枚蹴り、網打ち、外無双、打っちゃりなど
多彩な技で、次々と大物を負かしていく相撲に興奮したものです。
前頭時代に、7連敗した後8連勝して勝ち越した時は、
私の方が思わず飛び上がって喜んだたことを覚えています。
私の少年時代は、栃錦のお陰で、
いろいろな技を駆使して、相撲はかなり強かったんですよ。

番組では全勝同士の横綱栃錦と若乃花の対戦が紹介されました。
呼吸を合わせて立上がると猛烈な差し出争い。
その後どちらともなくがっぷり左四つになり、
土俵際での攻防が繰り広げられます。
数分経つとお互いに動きが止まり
水入りの大相撲となりました。
結局この勝負は若乃花が勝つのですが、
栃錦の髷はざんばら髪となり、
如何に激しい一番だったかを物語っていました。

栃錦はこのほかにも吉葉山戦、
大内山戦などで死闘を演じています。
とにかく常に魂を込めた戦いをしていたように思います。
栃錦が相撲を取る時は緊張感が走り、
観客は手に汗握って見ていました。
勝ち負けではなく、相撲という神事の内容に
酔っていたと言っていいでしょう。

先日の千秋楽結びの一番に
ブーイングが起こったことは記憶に新しいのですが、
正々堂々と全力を尽くすことが相撲の美学なのでしょうね。
といっても、栃錦も横綱になる前は、時には身をかわし、
蹴たぐりなどの技も見せていました。
しかし、体重が増え横綱になったころには、
横綱には横綱の風格が必要と
意識的に相撲の取り方を変えていった様子が伺えます。
相撲道は武士道に通じるものがあり、清く正しく美しくを大切にする
日本人の美徳の象徴といえるのかもしれません。奥が深いですね。
最近はほとんど満員御礼の垂れ幕が下りていますが、
ぜひ栃若時代のような熱戦を期待したいものです。

さて、521(土)の
「江藤ゆう子 昭和を歌う―番外編―」のチケットですが

14時の回   完売(補助席6席はあり)
17時の回   残7席  

となりました。ご報告まで。

 (達人の館 プロデューサー 橘市郎)

連休を利用して、映画「家族はつらいよ」を見てきました。
「男はつらいよ」「釣 りバカ日誌」のファン、
いや山田洋次監督のファンとしては見ないではいられなかったのです。
SF風の現実離れした映画や暴力場面が売り物の映画、
或いはファンタジックなアニメが溢れている中で、
日常のありふれた生活を描きながら、
人情や怒りを涙と笑いで包んでくれる山田作品は貴重な存在です。

この映画は、私と同世代の男性の悲哀を見事に描いていました。
家族のために働き続け、
退職後はささやかな楽しみに明け暮れていた頑固な老人が
突然老妻から離婚届を突きつけられる。
まさかと、たかをくくっていた男が、
だんだんと妻の本気に気付いて行く過程が
面白おかしく描かれていきます。

主演の橋爪功が家長として突っ張る頑固な老人を見事に演じ、
好きだった夫にだんだんと減滅を感じてきた老妻を、
吉行和子が静かに演じます。
長男夫婦の西村雅彦、夏川結衣。長女夫婦の中嶋朋子、林家正蔵。
次男の妻夫木聡とその恋人蒼井優。飲み屋のおかみ風吹ジュン。
探偵役の小林稔侍。医師役の笑福亭鶴瓶らが
実に生き生きとリアルにその辺にいる庶民を演じていました。

最後に、全くの他人でありながら複雑な人生経験をしている
蒼井優の一言が頑固な老人を素直にさせる結末は、
日本人っていいなあ、人の心に触れるって大切なんだなあと思わせます。
ここのあたりが山田洋次監督の世界なんですね。
見終わった後ほのぼのとした気持ちで映画館を出ましたが、
こういった映画は何時まで見られるんだろうという不安もありました。
私自身は、この日から脱ぎ捨てた衣類は少なくとも、
裏返しのまま洗濯機に入れないようにしようと決心したのでした。

5月21日の「江藤ゆう子 昭和を歌う-番外編」のチケットは
14時の回完売。
17時の回は残り、9枚となりました。
補助席は、各回6席は可能です。

お申し込みは、
達人の館   075-708-8930(電話)
       075-708-8934(ファックス)

 (
達人の館 プロデューサー 橘市郎)

達人の館がこの次お送りする公演は
「江藤ゆう子 昭和を歌う-番外編」です。
10月17日に行われた昭和60年代編で
5回シリーズを終了したのですが、
「『昭和を歌う』といいながら、
戦前の歌が全然入っていないじゃないか」とのご指摘を受け、
アンコール公演の形で5月23日(土)開催されます。

前売りを前回公演の当日に始めたところ、
70パーセントのチケットが出ましたので安心していましたが、
まだ完売には至っていません。
その後の告知をほとんどしていないので無理はありませんね。
3日前、進行台本を書き上げたところで確認しましたら、

14時の回が1枚
17時の回が10枚

残っています。
補助席が各回6枚まで可能なので、まだゆとりがございます。
約2ヶ月ありますが、まだお買い上げいただいていないお客様は
お早めにお申し込みください。

チケットお申し込み 達人の館  
0757088930 
FAX0757088934

第1部はこれまでどおり、
水野潤子さんが時代背景などを語りながら進めてまいります。
日本が太平洋戦争へと突き進むなかで生まれた名曲、14曲が歌われます。
第2部は江藤さんがこれまで歌いたいと思いながら、
時間の関係でカットせざるを得なかった15曲をお送りします。
第2部はアンコールという形で、
江藤さんが一人で歌い一人でトークしてまいります。
いわば江藤さんが構成する文字通りの独り舞台です。
ピアノの笹井順子さんと息の合ったライブが展開されることでしょう。
構成演出家の呪縛から解き放たれた、
奔放な江藤ゆう子さんをごらんいただきたいと思います。

当日は12月の総集編に向けて、
皆様からのリクエスト曲を募る
アンケート用紙も挟み込ませていただきます。
ご協力のほどよろしくお願いいたします。 
(達人の館 プロデューサー橘市郎)

数日前、民主党と維新の会が合流するにあたり、
新しい党名を一般から募集していることを知りました。
私もすぐにFAXで応募しました。
それは「独裁拒絶党」というダサイものでした。
こんなものが党名として採用されないのは分かっています。
私は次のようなメッセージを添えて送りました。

これがベストの党名などとは思っていません。
でも、庶民が皆さんに期待しているのはこのことです。
党名などなんでもいい。野合と言われることを恐れず、
とにかく自民党が分のの議席を確保することだけは阻止してください。
今を逃すとどんどん独裁傾向がエスカレートします。
一番しなくてはいけないことが何かをじっくり考えてください

本当にこのままだと危険です。
極端なことを言えば共産党と協力することも必要です。
自分の党の事情よりも
「独裁拒絶」を最優先させることに精を出してください。
まず、このことを成し遂げてから、
政策の整合性を議論し、再編しても遅くはありません。

これから先はここで書くのですが、
目の前が火事になっているのに
「あなたとは、根本的に考え方が違うので一緒に消火活動はできない」
などと言っている暇はないのです。
少なくとも75歳以上の人たちは、
日本が太平洋戦争に突入して行った流れを知っています。
その流れと今の状況が大変似ているから危惧しているのです。
党の名前なんか今はどうでもいい。
もう一度、野党が協力して何を成すべきかを
しっかりと自覚して頂きたく「独裁拒絶党」などという
恥ずかしい党名を送ったことを告白させて頂きました。
(橘市郎)

26日、無事「テノール 村上敏明リサイタル」が終了しました。
当日は寒いせいもあって、残念ながら満席とはいきませんでした。
でも、村上さんが1曲目の『帰れソレントへ』を歌い終えた途端、
客席から「ブラボー」の声。
それに呼応するように万雷の拍手が巻き起こり
会場は一気に盛り上がりました。
「これ は凄い!」といった驚きを表現するような
拍手が何時までも続いたのです。

村上さんはそれをさえぎるように挨拶した後、
イタリア民謡について話を始めたのですが、
イタリアの都市の位置関係を右足を上げ、自分の靴を示しながら説明。
かなり長い間片足で立ちながら、
「今日はかかとが高めの靴を履いてきました」などと言って笑いを誘います。
すっかりお客様の心を掴むと、
後は張りのある美声で聴き慣れたイタリア民謡を披露。
迫力ある高音にお客様は酔いしれました。

部の終わりは、リストの歌曲『ペトラルカのつのソネット』。
ピアノ曲では馴染みのリストですが、
彼の歌曲はあまり歌われませんね。
高音が続くこの難曲は、
おそらく村上さん以外には歌えないのではと思いました。
それにしても、大変美しい曲でした。

部は前半は日本の歌曲、後半がオペラのアリアでしたが、
オペラのアリアではテノール殺しといわれる
の高音をらくらくと出して、お客様を興奮させました。
極め付きのアリア『誰も寝てはならぬ』が最後の曲でしたが、
まるで大劇場の歓声を聴くようなざわめきに鳥肌が立ちました。
この時点で20時半、つまり開演から時間が経っていましたが、
村上さんはアンコールに応えて、曲も歌ってくれました。

こんなにステージと客席が一体となったリサイタルを見たのは、
マリ・デル・モナコのリサイタル以来と言っていいほどでした。
これで満席でなかったのは、
プロデューサーの力不足の何物でもありません。
京都のお客様は、自分の目で、
自分の耳で確かめないとなかなか来てくれないので、
村上さんのリサイタルは必ずもう一度やろうと思っています。
私にとってはリベンジとなりますので、
感動されたお客様は次回もお誘い合わせの上、
ご来場くださいますようお願い申し上げます。

「間違いなく日本一のテノール」
「村上さんの温かい人柄が滲み出たステージでした」
「イタリア人のテノールと錯覚する声量と美声でした」
「観客を喜ばせようと全力で歌われる姿に涙が出そうでした」。
こんなメッセージが続々と寄せられましたことに
感謝するとともに、村上さんの熱唱に心より敬意を表したいと思います。
ありがとうございました。
(達人の館 プロデューサー橘市郎)

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