23年前に中央競馬会発行の「優駿」という雑誌の
最優秀エッセイ賞をいただいたお陰で、
毎年関東で行われる5大G1レースに招待されています。
京都に引っ越してからは新幹線に乗り、
ホテルを取って行くので大変なのですが、
仕事とぶつかった時以外は欠席をしたことがありません。
私にとって競馬は、それほど、好きで好きでたまらない
永遠の恋人のようなものなのです。
昭和42年(1967年)3月9日に私の母は52歳で逝きました。
私もまだ27歳でしたからその落ち込みようは大変なものでした。
それから2ヶ月経った5月に、
私は帝国ホテルのレストラン・シアターで
東宝が制作したショーの舞台監督を務めていました。
ある日の休憩時間、楽屋のテレビの前に
出演者やスタッフが詰め掛けているのを見て何事かと思いました。
事件でも起こったのかと駆けつけてみると、
これからダービーという競馬のレースが始まるとのこと。
この頃、私は競馬のケの字も知らなかったので、
「なあーんだ」と言いながら、遠巻きに見ていると、
にわかに空が暗くなり猛烈な雨が降りだしました。
しかも、稲光が走り始めたんです。
「これじゃ中止でしょう」と私は素っ気無く言いました。
すると誰かが「競馬は雨が降ろうが、雷が鳴ろうが関係なく走るよ」と
得意気に言うのです。
「そうなんだ」と感心しているうちにファンファーレが鳴り、
スタートが切られると28頭の馬が、まるで戦場を駆けるが如く
泥まみれになって競り合って行きます。
それはそれは凄い迫力でした。
長い長い直線勝負の末、アサデンコウという馬が先頭でゴールを駆けぬけると、
歓声や溜息が聞こえて来ました。
誰もが興奮しているのを見て、
私も胸が熱くなったのを覚えています。
翌日の新聞で「アサデンコウ優勝!」の見出しと
「レース中に骨折して、3本足でゴールを駆け抜けた」
という記事を見るや私は涙をこらえ切れませんでした。
私はこの感動をきっかけに母を亡くした哀しみから
立ち直れたような気がします。
私が競馬に興味を持ち始めたのもこの時からです。
それから、約50年間、私は競馬の魅力に
どんどん取り付かれて行ったのです。
ここ10年、妻もこの魅力に引き込まれたようです。
競馬のことを書いていると何時間あっても足りません。
明日、京都から東京に向かいますが、
このブログを読まれた方はぜひテレビの競馬中継をごらんになってください。
2分25秒そこそこの生まの壮大なドラマをごらんになったら、
人生観が変わるかもしれません。
競馬から教えられることは余りにもたくさんあります。
単なるギャンブルではありません。
そのうち、また競馬に関することは書くと思いますが、
今日はここまでにしておきます。