10月22日、東京で日劇の制作者同窓会がありました。
「日劇がクローズしてから、もう35年も経っているので、
今回が最後になるかもしれない」
という幹事のお誘いに心を動かされ、日帰りで行ってきました。
10人の参加者のうち、一番若い人で70歳、
最高齢の人で82歳という高齢者の集まりでした。
確かに鬼籍に入られた方も多くなり、
これからの開催が難しくなる気もしないでもありませんが、
この日出席した人はみんな元気でした。
最高齢の千地博さんは今でも山登りをしているとのこと、
日劇では民謡のショーを手がけて活躍されました。
演出の日高仁さんは、斬新な演出で注目され、作詞家としても有名です。
広田康男さんは名舞台監督で、演出家になってからも
五木ひろし、小林旭といった人の演出を担当していました。
宇田良弼さんは社員プロデューサーでしたが、
後に海外室長として「レ・ミゼラブル」や
「ミスサイゴン」の上演権を確保しました。
オリエンタルランドの初代エンターテインメント部長でもあります。
大貫勇次さんは私と同期で交互に制作を担当していた仲です。
彼は東宝退職後、宇田さんのあとを継いで、
オリエンタルランド2代目エンターテインメント部長となり、
その後シアターアプルの支配人も勤めました。
松下洋さんは、社員プロデューサーを勤めた後、
帝劇や宝塚劇場の支配人になりました。
田口豪孝さんは日劇最後の契約プロデューサーですが、
現在も演劇部のエグゼクティブ プロデューサーとして大活躍しています。
特にジャニーズ事務所とのパイプは強固です。
鈴木七渡さんは社員プロデューサーとして、
日劇や日劇ミュージックホールなど幅広く担当されました。
島田誠さんは舞台監督として活躍、
一時私が立ち上げた制作会社にも所属していました。
ざっとこの日の出席者をご紹介しましたが、
共に苦労した仲間たちだけに、いろいろなエピソードが飛び出し、
笑いが耐えませんでした。
これから、日劇のことを語れる人がどんどんいなくなるのは寂しいですね。
日本のショービジネスを牽引していた日劇。
そこで精一杯青春のエネルギーを発散させていた男たちの集まりは、
なかなかの盛り上がりを見せていました。
ここで日劇が元気だった頃の様子が見られるテレビ番組をお知らせします。
実は宇田良弼さんは、コント作家としても活躍された方で、
コント55号育ての親としても知られています。
もっともコント作家としては、京田勝馬というペンネームで書かれていたので、
宇田さんと京田さんが同一人物だと知っている方は少ないかもしれませんね。
宇田さんはもともと喜劇がやりたくて東宝に入られたそうですから、
コント作家が本業だったのかもしれません。
実は、11月23日に「コント55号結成50周年記念番組」が1時間半、
オンエアーされるそうです。
BSのどこかを確認し忘れましたが、その番組に宇田さんが出演するんです。
「黒子のようにコント55号を支えていた人が、今正体を現す」
といった興奮を覚えます。
このブログを読んでくださった方は必ずチャンネルを回してください。
会が終わった後、宇田さん、松下さん、大貫さん、田口さんの4人は
新幹線が出発する直前まで、喫茶店で付き合ってくれました。
日劇を通じて同僚となった出会いを、感謝せずに入られない40分でした。
(達人の館 代表 橘市郎)
「日劇がクローズしてから、もう35年も経っているので、
今回が最後になるかもしれない」
という幹事のお誘いに心を動かされ、日帰りで行ってきました。
10人の参加者のうち、一番若い人で70歳、
最高齢の人で82歳という高齢者の集まりでした。
確かに鬼籍に入られた方も多くなり、
これからの開催が難しくなる気もしないでもありませんが、
この日出席した人はみんな元気でした。
最高齢の千地博さんは今でも山登りをしているとのこと、
日劇では民謡のショーを手がけて活躍されました。
演出の日高仁さんは、斬新な演出で注目され、作詞家としても有名です。
広田康男さんは名舞台監督で、演出家になってからも
五木ひろし、小林旭といった人の演出を担当していました。
宇田良弼さんは社員プロデューサーでしたが、
後に海外室長として「レ・ミゼラブル」や
「ミスサイゴン」の上演権を確保しました。
オリエンタルランドの初代エンターテインメント部長でもあります。
大貫勇次さんは私と同期で交互に制作を担当していた仲です。
彼は東宝退職後、宇田さんのあとを継いで、
オリエンタルランド2代目エンターテインメント部長となり、
その後シアターアプルの支配人も勤めました。
松下洋さんは、社員プロデューサーを勤めた後、
帝劇や宝塚劇場の支配人になりました。
田口豪孝さんは日劇最後の契約プロデューサーですが、
現在も演劇部のエグゼクティブ プロデューサーとして大活躍しています。
特にジャニーズ事務所とのパイプは強固です。
鈴木七渡さんは社員プロデューサーとして、
日劇や日劇ミュージックホールなど幅広く担当されました。
島田誠さんは舞台監督として活躍、
一時私が立ち上げた制作会社にも所属していました。
ざっとこの日の出席者をご紹介しましたが、
共に苦労した仲間たちだけに、いろいろなエピソードが飛び出し、
笑いが耐えませんでした。
これから、日劇のことを語れる人がどんどんいなくなるのは寂しいですね。
日本のショービジネスを牽引していた日劇。
そこで精一杯青春のエネルギーを発散させていた男たちの集まりは、
なかなかの盛り上がりを見せていました。
ここで日劇が元気だった頃の様子が見られるテレビ番組をお知らせします。
実は宇田良弼さんは、コント作家としても活躍された方で、
コント55号育ての親としても知られています。
もっともコント作家としては、京田勝馬というペンネームで書かれていたので、
宇田さんと京田さんが同一人物だと知っている方は少ないかもしれませんね。
宇田さんはもともと喜劇がやりたくて東宝に入られたそうですから、
コント作家が本業だったのかもしれません。
実は、11月23日に「コント55号結成50周年記念番組」が1時間半、
オンエアーされるそうです。
BSのどこかを確認し忘れましたが、その番組に宇田さんが出演するんです。
「黒子のようにコント55号を支えていた人が、今正体を現す」
といった興奮を覚えます。
このブログを読んでくださった方は必ずチャンネルを回してください。
会が終わった後、宇田さん、松下さん、大貫さん、田口さんの4人は
新幹線が出発する直前まで、喫茶店で付き合ってくれました。
日劇を通じて同僚となった出会いを、感謝せずに入られない40分でした。
(達人の館 代表 橘市郎)