一瞬の静寂

音楽・演劇プロデューサー・橘市郎のブログ。日々思ったことを綴っています。 東宝(株)と契約し、1973年にプロデユーサーに。1981年独立後は、企画制作会社アンクルの代表をつとめ、中野サンプラザからの委嘱で「ロック・ミュージカルハムレット」「原宿物語」「イダマンテ」を、会社解散後は「ファンタステイックス」「ブルーストッキング レデイース」などのミュージカルを制作。 2001年京都芸術劇場の初代企画運営室長。

2018年02月

2月17(土)の京都新聞の夕刊で
元宝塚の上原まりさんが大きく取り上げられました。
彼女は宝塚時代、あの名作「ベルサイユのばら」で
マリー・アントワネット役を演じましたが、
退団後は筑前琵琶の演奏者として活躍してきました。

しかし、2011年心筋梗塞を発症、
名医天野篤教授の手術のお陰で一命を取りとめたものの、
6年間は演奏会からも遠ざかっていました。
復活を果たしたのが昨年の10月、東京の博品館劇場での公演でした。
待ち焦がれたファンが応援に駆けつけてくれて大盛況だったそうです。
彼女の地元が神戸であることから、今度はぜひ関西でということになり、
3月16(金)京都市国際交流会館での公演が決まりました。

上原まりさんは病に倒れる前は
京都造形芸術大学の「日本芸能史」という公開講座の中で、
筑前琵琶を紹介していましたし、
送り火の日には野外能舞台での演奏もされていました。
ぜひ、彼女の復活公演にご来場いただき、
旧交を温めて欲しいと思います。
※詳細は最後に記載しております。



自宅での作業をしていると、
どうしてもオリンピックの模様が気になり、
テレビの前に移動してしまいます。
17日に羽生結弦選手が、
18
日に小平奈緒選手が続いて金メダルを取りましたが、
こんなことはめったにないことですよね。

もちろん羽生選手の連覇と病を克服したガッツは素晴らしいものです。
そして、その演技も魂のこもった神業とも言いたいようなものでした。
しかし、それ以上に私を感動させたのは、
小平選手の優勝もさることながら、
レース後の彼女の行動の数々でした。
まず、レース直後好タイムに熱狂する観衆に、
静かにするよう唇に指を添えて訴えたしぐさ。
次に走るライバル李相花選手の
集中力を阻害しないようにとの配慮でした。
そして、結果が出た後泣き崩れるライバルを労わる優しさ。
もともと友情で結ばれていた相手とはいえ、
この思いやりは勝敗以上に私を感動させました。

オリンピックの終局の目的はスポーツを通じて
人類が慈しみ会うことだとすれば、
小平選手のこの行動こそ、お手本だと思ったのです。

猜疑心だらけの政治の世界。
駆け引き、だましあいの国際関係。
そんな中で、人間の良心や温かい愛を感じさせてくれる美しい風景でした。
小平選手、本当にありがとう。
小平選手が見せてくれたこういう風景こそ、
オリンピックに相応しいものとつくづく思いました。

(達人の館  代表 橘市郎)

 


16日(金)筑前琵琶 上原まり平家物語を語る

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場所:京都市国際交流会館 イベントホール アクセス

●昼の部 13:00
『平家物語』より 祇園精舎、入道死去、敦盛最後、壇浦合戦、ほか

●夜の部 17:00
『平家物語』より 祇園精舎、小泉八雲『怪談』より 耳なし芳一、雪女、ほか
※演目は変更になる場合もございます。ご了承ください。

料金:各回3500円 未就学児入場不可

お問い合わせ
達人の館
TEL 075874-5931、FAX 075874-5932

11日に行われた「ホキ徳田の部屋」は残念ながら集客が上手くいかず、
ホキさんやお集まりいただいたお客様に寂しい思いをさせてしまいました。
若くしてアメリカに渡ってしまったホキさんのことを知っているのは、
75歳以上の方に限られること。
また、京都の人たちは初物に冷たい傾向があること。
この二つから、かなりの苦戦を覚悟していたのですが、
結果は想像以上に厳しいものでした。

しかもB型インフルエンザの流行、
冬季オリンピック開催などが重なったことも影響したようです。
でも、ホキさんは客席に向かうなり「私って人気ないのね」と
明るく、飄々と語りかけ、一瞬にしてお客様をひきつけてしまいました。

進行と弾き語りを披露してくれた古賀久士さんは、
ホキさんのお孫さんのような存在ながら、
ピアノと歌の実力は卓越したものを持っていて、
カウンター・テナーのような歌唱は迫力満点でした。
ホキさんがトークで笑わせた後、
電子ピアノの前に立って弾き語りを始めると、空気が一変します。
アドリブ風の早弾きと自在な歌唱。
そして、その声の若々しく、艶やかなこと。
84歳にしてどうして、ああも指が動くのか、全くミスタッチがないんです。

私はトークの時と演奏の時のギャップに感動してしまいました。
名人芸というものを目の当たりにしたように思いました。
演奏が終わるとホキさんと古賀さんはロビーに出て
ヘンリー・ミラーが描いたという絵葉書をプレゼントし、
そこにサインをすることをしてくれました。
皆さんお二人の演奏には満足してくださったようです。
お客さまの数ではなく、その満足感が伝わってくるのが何よりでした。

ホキさん!客席をいっぱいに出来なくてすみませんでした。
このリベンジはぜひ実現したいです。
あなたこそは「達人の館」に相応しいジャズの弾き語り名人だからです。
また、ホキ徳田さんをご紹介いただいた
インターナショナル・カルチャーの松野正義社長にも
またご相談したいと思っています。

(一般社団法人 達人の館  代表 橘市郎)

2月4日に行われたヴェルディのライヴは
チェロの櫃本瑠音さんと
ピアノの坂口航大さんのジョイント・ライヴでした。
初めてのチェロと会場との相性は思った以上にぴったりでした。
天井の高さと会場の広さが
美しい音色をかもし出していたように思います。

もちろん櫃本さんの腕も素晴らしく、
全身を使って演奏する気合の入った姿に引き付けられました。
坂口さんのピアノは、今までの伴奏者としての控えめな演奏と違って迫力満点。
一緒に演奏する曲もお互いが真剣勝負しているような
張り詰めたものがありました。

今回はプログラムが全て重厚なクラシックでしたが、
次回は軽いものも入れ込んでいただくといいかもしれませんね。



2月11日(日)には蹴上にある京都市国際交流会館
「ホキ徳田の部屋」というコンサートを開催します。
ホキ徳田さんはペギー葉山さんや
ナンシー梅木さんと同世代のジャズ歌手ですが、
文豪ヘンリーミラーの人目の妻としても知られています。

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アメリカでの生活が長いので
60
歳以下の方には馴染みがないかもしれません。
でも、私より先輩とはいえ、声も気持ちも若々しい素敵な方です。
ホキさんは現在、東京六本木芋洗坂にある
ご自身の店「北回帰線」でピアノ弾き語りをされていますが、
リラックスしてお客様を楽しませるエンターティナーぶりはさすがです。

進行・弾き語りの古賀久士さんとの世代を超えたトークも楽しみです。
懐かしいジャズのスタダード・ナンバーを聴きながら、
ゆったりとした時間をお過ごしください。


「ホキ徳田の部屋」

昼の部13:0012:30開場)
夜の部17:0016:30開場)  
京都市国際交流会館 イベントホール
一般 4500(全席指定)


お問い合わせ インターナショナル・カルチャー
TEL:03-3402-2171
(一般社団法人 達人の舘   代表 橘市郎)

27日と28日は京都造形芸術大学 藝術学舎の講師を務めてきました。
「オペラと歌舞伎」と言うテーマで延べ640分の授業をしたのですが、
そのうち160分は歌舞伎とオペラの両方が上演できる
春秋座での授業でしたので意外に疲れませんでした。
ただ教室での授業で、映像と書画カメラの切り替えがうまく行かず、
当初考えていた授業の進め方を急遽変えなくてはならなくなり、
受講生の方たちには大変ご迷惑をかけてしまいました。

大阪での授業の際には何の問題がなかったのに、
最新の機器は複雑で私のような年代のものには対応しきれないと
大いに落ち込んでしまいました。
でも、事務局の方の協力で、
2日目はまあまあスムーズに進行が出来ました。
授業が終了して「大阪では何のトラブルもなく出来たのですが、
機器が新しくなると対応しきれず往生しました」というと、
「いや、こちらの機器の方が古いものですから
複雑で申し訳ありません」とのこと。
機械音痴は何処まで行っても恥をかくものですね。

それにしても、黙って聴講してくれた40名の受講生の方々には
心から感謝したいと思います。
30
代から80代という大人の方々の優しさを感じました。

また、春秋座での授業の際には劇場のスタッフが、
本当に親切に対応してくれました。
セリや盆(回り舞台)の体験の時には安全対策も万全。
普段なかなか入れないところにも案内してくれましたし、
当初考えていなかった宙乗りの鳥屋の見学や、
ピンスポットの実演まで見せてくれたのです。
現役時代に一緒に仕事をした仲間として、
黙っていてもいろいろと協力してくれた優しさに胸が熱くなりました。

*

さて、24(日)のヴェルディ・サロン・ライヴは
待望のチェロの独奏が聴けます。
御馴染みの坂口航大さんからご紹介いただいた
名手・櫃本瑠音さんの初登場です。
彼女は佐渡裕、シエナウインドオーケストラとも共演した実力者ですが、
ヴェルディの空間でチェロの音色がどう響くのか楽しみです。
坂口さんとのコンビネーションも聴き逃せません。
ご来場をお待ちしています。

(達人の舘  代表 橘市郎)

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