達人の館

   本物の芸をじっくりと味う、大人のためのコンサートを企画・主催しています。

2018年07月

7月14日(土)は江藤ゆう子さんのコンサートを聴きに
京都コンサートホールのアンサンブルホールムラタ(小)に行って来ました。
ご承知の通り前回はロームシアターの中ホールでやったのですが、
今回は私と関係なく、江藤さんご自身の演出でやられたものです。
といっても昭和を歌うことには変わりないので、
大変興味をもって出かけて行きした。

演出に関わらず客観的に聴ける気軽さもあって、
ワクワクして聴かせていただきました。
結果は驚きでした。
江藤さんはまるで水を得た魚のように立派で、
歌も何も言う事が無いほど、上手になっていました。
もう私が駄目を出すような点は何もなくなっていたのです。
これが自信というものでしょうか?
最後に客席のみなさんと歌う時間が
長く感じられた以外は、構成も良かったと思います。
これで江藤さんは、もう大丈夫です。
人がどんどん成長して行くのを見る事は、うれしいものです。
江藤さんの歌はこれからは、客席で1観客として聴こうと思いました。


14日の翌日、15日(日)はヴェルディ・サロン・ライヴの本番でした。
オペラ「魔笛」がご縁で知り会った松井るみさんを中心としたライヴでしたが、
何と5人も出演してくれた豪華番でした。
松井さんにはプロデューサー的な才能もあるのです。
人をうまくまとめ、楽しい企画を考えてくれます。
松井さんは歌もうまいし、オーラのあるタレントさんですが、
教育、研究面でも将来性のある方だと思います。

今回も、バリトンの高橋純さんとの掛け合いが面白く、
ソプラノの金岡伶奈さんとのバランスも良かったです。
ピアノの辰村千花さん、早川藍香さんの息の合った連弾も特筆物。
ちなみに松井さんは17日に京都文化博物館で行われた
京都藝大、小濱妙美先生を中心とした
門下生のコンサートにも出演されていました。本当に精力的ですね。
この方はどこへ行っても光り輝いているから不思議です。

(一般社団法人  達人の館    代表  橘市郎)               

先週はプライヴェートのことを書きましたが、
同時進行のように九州地方、四国地方、中国地方、
関西地方などに、大雨の被害が出ました。
天災とはいえ、各地にもたらされた被害は想像を超えていました。
特に広島県、岡山県の被害はひどいもので、
こんなことが実際に、わが身に起こったら
どう対応したらいいか、全く分からない程の物でした。

あの水害を見ていると、2階まで水が上がってくる恐怖は
体験したものでなければ分からないと思います。
被害の大きかった地域には知り合いも多かったので、
今も心配で安眠できません。どうか1日も早い復興を祈るばかりです。

こんな時には自分がいかに無力であるかを知らされます。
消防団員や自衛隊のみなさん、そして多くのボランティアのみなさん、
本当にありがとうございます。
そして被害にあわれた方々、1日も早く
元気になっていただきたいと祈っております。
言葉だけの自分が情けないです。


取り残された洞窟からなかなか抜け出せなかった、
タイのサッカーチームの少年たちが全員無事救助されました。
少年たちを救い出そうと世界各地から集まったダイバーやタ
イの関係者の努力で全員無事救助されたことは本当に良かったと思います。
でもこの奇跡とも言うべき出来事は、コーチが元僧侶で、
沈着な判断をもって少年たちを導いた功績が大きいと思います。
暗闇の洞窟内で数日間、最小限なエネルギーで
じっと救出を待ったということは普通では出来なかったでしょう。
全世界が協力して少年たちを、救い出した出来事は美しいし、
世界中の人たちが一つになって協力しあったのは、紛れもない事実です。
人類が善意で協力し合ったことは何か将来を明るくするものでした。
これからはこういう流れが世界中に広がるといいと思います。


(一般社団法人  達人の館   代表 橘市郎) 

 

6月の終わりから7月の初めにかけては、いろいろなことがありました。
まず、今年8歳になった一番若い孫が6月30分日に誕生日を迎えました。
翌7月1日は私の78回目の誕生日で色々お祝いの言葉をいただきました。
ところが同じ7月1日に訃報が届いたのです。
私の3歳年下の妹光子が亡くなったのです。

良く、盆と正月が一緒に来たようだといいますが、正しくそんな感じでした。
光子は私より3歳年下でしたが、
2016年2月に光子の夫が亡くなった時には、
すでに身体を悪くして施設に入っていました。
急というわけではありませんがショックでした。
私が病み上がりということで、光子の娘をはじめ、
周りの人々からお葬式に出席することは控えたほうがいいといわれ、
もう少ししてからお線香をあげに行こうと思っています。


光子について昔を知っている方は少ないと思いますので、
追悼の意味でご紹介させていただきます。
光子は三味線の名手であった母親の血を引いたせいか、
少女時代から芸事に興味を持ち、憧れの松竹音楽舞踊学校(SKD)に入学。
卒業後は浅草の国際劇場で活躍していました。

芸名を東京子(あずまきょうこ)と名のり、
「ファイヴ・フェザーズ」の1員として活躍していました。
先輩の沖千里さんに可愛がられたり、
倍賞千恵子さんに似ていることから代役に起用されたりしていました。
私が東宝に入る以前から松竹にいたんですね。

退団後にはファンが経営していた、
おにぎりやさんを手伝ったりしているうちに、
夫となる男性に出会い結婚。
夫が継いだ「日光や」という草履屋さんの老舗を守ってきました。
今考えればそれがハードだったのかもしれません。
でも、元気に全国を飛び回っていたようです。
本当に働き者でした。

妹にお世話にこそなりながら、何も力になってやれなかった兄。
「ご免!」というばかりです。
幸いに店は息子が継いでいるし、
娘はいい旦那に恵まれ頑張っているので、安心です。
「後悔先に立たず」を実感している兄だけが不甲斐ないと思っています。
妹よ安らかに眠っておくれ!と祈るばかりです。

 (一般社団法人  達人の館  代表 橘市郎)

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