一瞬の静寂

音楽・演劇プロデューサー・橘市郎のブログ。日々思ったことを綴っています。 東宝(株)と契約し、1973年にプロデユーサーに。1981年独立後は、企画制作会社アンクルの代表をつとめ、中野サンプラザからの委嘱で「ロック・ミュージカルハムレット」「原宿物語」「イダマンテ」を、会社解散後は「ファンタステイックス」「ブルーストッキング レデイース」などのミュージカルを制作。 2001年京都芸術劇場の初代企画運営室長。

2018年09月

今日、久し振りに本屋さんに立ち寄りました。
昔はよく本屋さんで新刊本や小説を買ったものですが、
久しくそういうことのない生活が続いていました。
何故か良く分かりませんが、心にゆとりがなくなったせいでしょうか?
あまりにも色々な本が出ており、
買うにしてもどれを選ぶべきか判らない自分に、
あきらめのような気持ちが沸いてきたのでしょうか?

それとも、自分に好奇心が無くなってしまったのでしょうか?
これが年齢によるものなのかなあと思いながら、
結局は何も買わずに本屋さんを後にしたのでした。
ごめんなさい本屋さん。

*

9月23日のヴェルディ・サロン・ライヴは、
メゾソプラノの倉橋緑さんの初登場でした。
彼女はイタリアから帰国間もない方ですが、
良く響く美声でお客様を魅了してくれました。
喋る声はか細いのに、歌になると堂々とした声で将来性を思わせるものでした。
これからがとても楽しみな歌手の一人として注目したいと思います。

ピアノの竹村波留加さんは、はっきりした喋りで演奏も堅実。
しっかりと倉橋さんを支えてくれていたと思います。
このお二人にもまた、日をおいて再登場していただきたいものです。

*

この日は、春秋座で
「猿翁アーカイブにみる三代目市川猿之助の世界」第3回フォーラムが行われ、
何と久し振りに、市川猿翁が東京から来てくださいました。
サプライズということで、最後に突然登場した猿翁を見て、
お客様はびっくりされたと思います。
皆様ご存知の通り、病に倒れた猿翁が
もう春秋座に来てくれることはないだろうとあきらめていたはずですから。

「本日はもうお一人特別ゲストがいらっしゃいます」と云う
司会者の声と共に中割が上がると、
そこには車椅子に座った猿翁が居て、
歌舞伎役者特有の見得を切って観客の声援に応えたのです。
お客様は興奮してスタンディング・オべイション。
不自由な身体で一生懸命見得を切る猿翁に、
私は計り知れない役者魂を見ました。

何時までも続く拍手。私の眼からは自然に涙が溢れてきました。
緞帳が降りるや私は舞台の方に駆けつけ猿翁と握手をし、目を合わせました。
以前に較べ少しふっくらとされたようでした。
周りのスタッフも私と猿翁の関係を知っていて、
帰り際にツーショットの写真も撮ってくれました。
言葉は交わさずとも、舞台袖から車椅子のまま、
大型車両に乗って去って行く猿翁を見送りながら、
私は本当の「役者の中の役者」に出会えたと思い、頭を下げ続けていました。 

(一般社団法人 達人の館 代表 橘市郎)

 

 

9月15日、女優の樹木希林さんが亡くなりました。
全身に癌が転移にしてからも亡くなる数ヶ月前まで仕事をされていました。
最後は自宅に戻られ、生前に言ってらしたとおりにこの世を去られました。
私は夫の内田裕也さんとはウエスタン・カーニバルでご一緒しましたが、
希林さんとは一度もお会いしたことがありません。
でも最近の彼女の仕事や言動には、大変刺激を受けていました。
彼女のように人生を送るのが、
ひとつの理想かもしれないと思っていたからです。
ここ数年の彼女は本当にいい仕事をしていました。
自分が思うような生き方を貫き通した人だと思っています。

最近、人の死についてばかり書いているようですが、
これも私自身の年齢のせいかもしれません。
何事もゴールがあるとすれば、
最後は自分らしく迎えたいと思うのは自然なのでしょう。
樹木希林さん、思うように人生を全うされましたね。
本当にお疲れ様でした。


一方、女優の草笛光子さんは84歳になられて、
なお、ミュージカルの主演をされるそうです。
肌つやも若々しく、踊りのレッスンも怠りません。
実は草笛さんの本名は富田さんで、
彼女の弟さんの富田君とは東宝時代同期でした。
彼は今どうしているか、残念ながら分かりませんが、
そんなこともあり、仕事では草笛さんに何かとお世話になったものです。

このミュージカルの振り付けは名倉加代子さんで、彼女も私とは同い年です。
世の中には元気な方もおられ、
それはそれで、本当に素晴らしいことだお思います。
草笛さんや名倉さんのよに、何時までも自分を鍛える努力をされ、
若さを保つのも並大抵なことではないでしょう。
このミュージカルが人を勇気付け、
大成功に終わることを祈っていたいと思います。

(一般社団法人 達人の館 代表  橘市郎)

先週は訃報をお知らせいたしましたので、
今週は明るいブログで行こうと思っておりました。
5日の日は期待している指揮者の坂口航大さんが、
師匠である岡原慎也さんの「指揮シリーズ」コンサートに
出演するというので駆けつけたのですが、
前日が台風の襲来で会場の京都こども文化会館エンゼルハウス周辺は
大変な被害をこうむっていました。

演奏は素晴らしく、お客様もそこそこ入ってはいましたが、
会場の近辺は大変でした。
そして6日の夜中には北海道に最大震度6強の地震が発生、
山崩れが起こり大勢の人が亡くなったり、停電が起こりました。
今でも町は不便を強いられ、
避難生活を送らざるを得ない人々が沢山いらっしゃいます。
ここの所、日本はいじめられているのでしょうか?
世の中には駿河銀行の不正も報道されました。
体操のパワハラ問題も毎日のように報道されています。
間もなく自民党内で、総裁選挙が行われますが、
どうかより良い選択が行われてほしいと思います。


,,9日は春秋座で立川志の輔師匠の公演が行われました。
今年で春秋座公演10周年を迎えた記念公演は、
自分の足で、しかも50歳過ぎてから日本全国を回って精密な、
日本地図を実現した「伊能忠敬」を描いた「大河への道」でした。

3年かけて作った大作の再演でしたが、完成度が増し、
落語を超えた感動的な作品に仕上がっていました。
最後に披露した空中カメラマンの偉業をたたえる話は、
この落語が出来上がった経緯が良く分かり、
お客様も納得されていたようです。

志の輔師匠の落語を聞いていると、
何時しか壮大なドラマの世界に、誘われている気がしてきます。
たった一人で、ドラマの中に引き込んでいく、
日本独特の落語って本当に凄いと思いました。

志の輔師匠のお陰で、京都造形芸術大学の学生たちも、
落語の素晴らしさを知り、
いろいろなグッズを考えてくれたのも、うれしい出来事でした。
志の輔師匠、本当にありがとうございました。
来年も、再来年も体力の続く限りお引き立ての程よろしくお願い致します。 

(一般社団法人 達人の館  代表 橘市郎) 

先月の最終週には訃報が相次ぎました。
8月23日には、日劇制作室の同期である
大貫勇次さんが亡くなったとのお電話を元同僚からいただきました。
大貫さんは日劇のプロデユーサーから
東京ディズニーランドのエンターテインメント部長、
シアターアップル支配人などを歴任された方で、
大変面倒見のいい仲間でした。

日劇制作室の集まりも彼が万年幹事の役割を担ってくれていました。
今年の初めに年賀状をいただいた時には、
新婚早々で、とてもお元気だったのです。
日劇時代からカルシウムの錠剤を飲んでいたりして健康には注意深かったし、
髪の毛も70歳過ぎてなお黒々ふさふさで
仲間をうらやましがらせていたものです。
その大貫さんが急に亡くなるなんて信じられません。
癌だったそうですが、発病するまで誰も想像していませんでした。

東京に住む先輩や後輩たちが
大貫さんを最後まで見守ってくれたのが、せめてもの救いでした。
京都でリハビリ中で、何も出来なかったのを申し訳なく思う毎日です。
大貫さん、どうぞ安らかにお眠りください。
合掌。


もうひとつの訃報は、元宝塚のスターで
筑前琵琶の名手・上原まりさんのものでした。
8月29日京都新聞の記者、斎藤英之さんからお電話をいただき、
逆にその真偽を訊かれたのです。

今年の3月、まりさんの筑前琵琶のコンサートを企画し、
ご本人と共に取材をしていただいたからです。
コンサートは病み上がりでありながら、迫力に満ち、力のこもった演奏でした。
私は京都造形芸術大学の授業でもお世話になっている
まりさんが復活されたのを大変喜んでおりました。
その後、東京に新しく出来た能舞台での出演も決まっており、
いよいよ、上原まりさん復活を感じていた矢先でした。

京都でのコンサートの翌月、入院した私は
気になりながら、まりさんと連絡を取っていなかったのです。
事務所の社長、松野正義さんは私がリハビリ中なのを知っているので、
敢えて知らせなかったのだと思います。
人の命のはかなさを痛いほど噛みしめている私です。
まりさん、もう一度あなたの筑前琵琶を聴きたかったです。
合掌。

*
今週は暗いお知らせで申し訳ありません。
来週は明るいお知らせができる様にいたしますのでおゆるしください。

(一般社団法人  達人の館    代表  橘市郎)

↑このページのトップヘ