一瞬の静寂

音楽・演劇プロデューサー・橘市郎のブログ。日々思ったことを綴っています。 東宝(株)と契約し、1973年にプロデユーサーに。1981年独立後は、企画制作会社アンクルの代表をつとめ、中野サンプラザからの委嘱で「ロック・ミュージカルハムレット」「原宿物語」「イダマンテ」を、会社解散後は「ファンタステイックス」「ブルーストッキング レデイース」などのミュージカルを制作。 2001年京都芸術劇場の初代企画運営室長。

2019年10月

1026(土)、50年ぶりに田辺国武さんという
現在は演出家として活躍されている方に京都駅近くの喫茶店で再会しました。
田辺さんは偶然、数ヶ月前にこのブログを見て連絡してきてくれたのです。
50年前、田辺さんは劇団「若草」という主に子役を養成し、
マネージメントするプロダクションの先生であり、スタッフでもありました。
日劇という劇場で子役が必要になると連絡して
お世話になるというお付き合いが続いていました。
私が東宝を辞めた後も子役といえば田辺さんだったのです。
しかし、子役が必要な仕事がなくなるとともに、
いつしか疎遠になっていったようです。

田辺さんは長い間、「金子 みすゞ世界」に興味を持ち、
彼の演出作品にはその傾向が非常に強いことが伺えます。
東京、四国、富山などで行われる公演にぜひ注目してあげて下さい。
伊勢丹の入り口で待ち合わせた二人は、お互いに分かるかどうか不安でしたが、
一目見て昔とほとんど変わっていない姿にびっくりしました。

田辺さんは私の病み上がりの状態を心配されていましたが、
ひとりで立っているのに安心したようです。
それから約1時間、お互いのその後を報告したり、
現在の状況を語り合いました。
短い時間とはいえ懐かしさがどんどん蘇ってきました。
5歳年下の田辺さんは元気そのもの、
健康に気をつけられ体重も大分絞ったようです。

奈良の公演先に戻られるということで近鉄の改札口までお送りしましたが
今度はぜひ東京でお会いしたいと思いました。
田辺さん、元気をいただきましてありがとうございました。
これからもぜひ良い仕事をされてください。益々のご活躍を祈っています。


(音楽・演劇プロデューサー 橘市郎)


ラグビーのワールドカップで、日本は4強にはなれなかったものの
大いに日本全国を元気にしてくれました。
私は正直今までラグビーの試合を見たことがありませんでした。
今回初めて周りのムードに押されて、テレビ中継を見たのです。

まず驚いたのは体格のいい選手達が激しくぶつかり合い、
ゴールに突進する迫力でした。
肉体同士が激突するといえば相撲がありますが、
スクラムを組んで一つの変形ボールを奪い合うというのは
ラグビーしかありませんね。
人間には闘争本能がありますが、
それをスポーツと言うルールをもとにした試合
で発散させることを考えた人は偉いと思います。

激突しあった選手達が試合が終わって、
お互いの奮闘振りを笑顔で讃えあう姿は本当に感動的でした。
カナダ・チームの選手たちは
水害で泥水に浸かった滞在地の後片付けを手伝ってくれました。
「大男、気は優しくて力持ち」と言う言葉がありますが
絵に書いたような出来事だと思います。

「スクラムを組む」ということが
連帯意識を高めるという意味に通じることも、
今回のラグビーで痛いほど分かりました。
今回のラグビーを見るにつけ、人間同士が殺しあう戦争が
如何に智恵のない愚かなことかをつくづく思いました。
そして、どのスポーツも多かれ少なかれ
人間の闘争本能をうまく昇華させてくれている
素晴らしいものであるかを再確認しました。

スポーツ万歳!

(音楽・演劇プロデューサー 橘市郎)

思っていたように今回の台風は
今までにないほど各地に被害をもたらせました。
台風は自然災害には違いありませんが、
私は100パーセントそう考えてはいません。
世界各地に広がる異常気象は人災であり、
地球の悲鳴と思っています。

自分さえ良ければいいという人間のエゴが
どんどん自然を破壊している報いなのです。
そんな危機感を純粋な子供たちが持ち始めているのに、
世界の政治家たちの多くは知ってか知らないか無視したように争っています。
今回の台風ではいくつもの川の堤防が決壊し、
人の命を奪い家の天井まで水につかる事態が発生しました。
こうした事態はいつまたやって来るかも知れません。

千葉県の方たちが前回の被害に較べれば
思ったより少ない被災で乗り越えられたのは、
体験を生かされ避難を早めにされたということだと思います。
各地で起こった被害を現実のものとして対応していくことが、
今後必要になってくることでしょう。
ともあれこれから立ち直ろうとしている方たちを、
少しでも援助して差し上げる対策を国が講じてさしあげて欲しいものです。

*

暗いニュースが続く中で日本ラグビーの奮闘ぶりがファンを熱狂させました。
テレビの視聴率が50パーセントを越えたのは凄いことですね。
私のような80歳近い男でも力が入ってしまうほどの闘魂と試合が終わった後、
対戦相手をお互いに讃えあうスポーツマン・シップに感動いたしました。

感動といえば、もう一つ私を感激させたうれしい出来事がありました。
作・編曲家の甲斐正人さんが突然私の家に来てくれたのです。
甲斐さんのことは何度かこのブログでもご紹介していますが、
最近では梅田藝術劇場の「ON THE TOWN」(宝塚歌劇団)で
指揮をされたにもかかわらず、
聴きに伺えなかった事情を書いたのを覚えています。

今回、甲斐さんは京都の南座に
作曲家としての仕事でいらした合い間に訪ねてくれたのです。
「ON  THE TOWN」公演の記録CDを持参され、聴かせてくれました。
素晴らしい演奏に私は想像以上の感動を覚えました。
バーンスタインの斬新なサウンドを余すところ無く表現し、
宝塚のキャストだけとは思わせない自然さがありました。

私はブロード・ウエイ版も見られませんでしたが、
それに遜色の無い公演だったのではないかと思っています。
私の親しいSさんも大変盛り上がった公演と
報告してくれたのが、納得できました。
CDだけを聴いて絶賛するのもどうかと思いますが、これが私の感想です。
甲斐さんは台風の接近を前に、その日のうちに横浜のお宅に戻られました。

決して派手な活動を好まない甲斐さんが
自身をもって指揮された作品を生で聴けなかったのが残念でした。
早く健康を取り戻しまた彼が指揮をする公演を聴きに行きたいと思っています。
元気になることを祈り、
再会を約束してくれた甲斐さんの言葉のためにも頑張るつもりです。
甲斐さん本当にありがとう!

(音楽・演劇プロデューサー 橘市郎)

先日久し振りに大塚博堂のCDを聴きました。
彼は以前お世話になっていたMさんがマネージャーをしていた歌手ですが、
改めてその才能に感動しました。
彼の生涯は19441981年というわずか38年間の短いものでしたが、
心を揺さぶる歌の数々は忘れることが出来ません。

シンガー&ソングライターが出て来た時代、
彼は東洋音楽大学(現東京音楽大学)中退後にデビューしたものの、
なかなか売れず「ダスティンホフマンになれなかったよ」で
再デビューしたのは32歳の時でした。
それから37歳で脳内出血のため急逝するまでの5年間、
レコード化された曲は約80曲にもなります。
音域の広い、情感のこもった声は
クラシックの歌手には無いナイーヴさを持っていました。

私は彼の歌を聴いていると
一人の青年が懸命に人生を生きている姿が浮かんできます。
私が1940年生まれなので、ほぼ同世代だったことになります。
人生の充実度は長さではないのは当然ですが、
彼が元気でいたらと思うと残念でなりません。

*

香港でのデモ、韓国の政局、トランプさんの疑惑、
北朝鮮のミサイル実験、東京電力の混乱。
どれをとっても暗いニュースばかり。
一方でラグビーにおける日本の快進撃やゴルフ、
陸上、テニス、野球、競馬といったスポーツ界での明るい話題。
国会が始まると言うのに頭の中は混乱しています。
こんな時こそ知らないうちに
あらぬ方向に導かれぬよう注意しないといけませんね。
冷静になりたいものです。

(音楽・演劇プロデューサー 橘市郎)

9月27日から29日の3日間は春秋座で立川志の輔公演が行われ、
私は初日と楽日を拝見してきました。
特に初日は師匠が楽屋入りして
舞台チェックをするさまを見させていただきました。
皆さんはタレントとしての師匠は良くご存知ですが、
演出面での存在は案外知られていないと思います。

しかし、落語が全くの独り舞台だけに
その演出ぶりは他の舞台芸術以上に、ご本人の感性にかかってきます。
師匠は楽屋入りと同時に舞台チェックに入ります。
高座の位置、袖幕や文字の状態。照明のあたり具合や色、そして明るさ。
音響の大きさや聴こえて来る方向感、音質。そして明瞭度。
こう書くと細かいため、時間がかかるような気がしますが
実に手短にチェックしOKを出していくのです。
その手際の良さは、いろんな演出家の稽古を見慣れている私も
感嘆せずにはいられません。

そしてお弟子さんや共演者の音響を聴いて、楽屋に入るのです。
劇場での落語というものがこれほど緻密に演出されているとは
お客様にはお分かりいただけないと思うし、
師匠もこういう事を書かれるのは嫌がるかもしれません。
しかし落語というものが昔のように単に寄席の演芸ではなく、
世界に誇るべき、一人芝居の藝術であることをお伝えしたかったのです。

演技においても師匠の熱演は単なるお笑いを超えた迫真そのものです。
高座を降りてくる健康な落語家が憔悴しきっているのを、
私は今まで見たことがありませんでした。
私は歌舞伎の猿翁と落語の志の輔師匠というお二人と出会えて
本当に幸せだったと思います。
来年も春秋座での「立川志の輔落語」を楽しみに頑張るつもりです。
そして来年はパルコ劇場での公演も再開されます。
健康管理に万全を期してくださいますように祈っています。

(音楽・演劇プロデューサー 橘市郎)

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