2020年07月
元気をもらえるスポーツの数々
(音楽・演劇プロデューサー 橘市郎)
アルコール消毒の氾濫
最近は何処の店に行ってもアルコール消毒の備えがあります。
当然のように誰もがそれを利用しています。しかし薬品がこれほどお手軽に使われていて大丈夫なのでしょうか? 従来のように石鹸で丁寧に手を洗い、水で良くうがいするのでは駄目なのでしょうか?これほどアルコールが何処でも手軽に使われていると逆に弊害はないのでしょうか?
「毒をもって毒を制する」という考え方が本当にいい事なのか、副作用はないのだろうかと心配してしまいます。もともと「目には目を」という考え方もありますが、それが人間にとって良いことだったのでしょうか?
これこそ歳をとって消極的になった証拠かもしれません。夢と希望に満ち溢れている若者と80歳の老人とでは当然違った感覚を持っていることでしょう。でも少しでも地球を大切にし、人類が平和に共存共生して行くためには譲り合いの精神が必要です。素朴な片田舎の人たちのように労わり合いながら、自然とともに生きていく一生こそ人間味に満ち溢れているように思います。東京で生まれ育ち、京都に住むようになった私が厳しい自然の中で生活していく事は多分無理でしょう。
せめて経済最優先といった風潮には染まらずに素朴に生きて行きたいものです。
(音楽・演劇プロデューサー 橘市郎)
地球が怒っています!
満80歳の誕生日
このブログが更新される頃には、7月1日生れの私は80歳になっています。今までは年齢をあまり気にしていませんでしたが流石に我ながら年をとったものだと自覚しています。80歳は明らかに老人ですものね。
私は1939年3月に有楽町にあった日本劇場の舞台監督助手として就職いたしました。初仕事は引き割りカーテンが垂直に閉まっていくように先導する仕事でしたが、カーテンが閉まった途端にダンサーたちの香水の匂いに眩暈がしたものです。
ちょうど「ザ・ピーナッツ」のショーで私は華やかな舞台を下手の袖から見ていました。中でも私のお気に入りは「ジューン・ブライド」という曲で、それには「カトレア・シスターズ」という日劇専属の女性バック・コーラスが付いて下手の袖近くで歌っていました。うぶな私はそのうちの一人にすっかり魅せられてしまったのです。3月に就職して6月にはプロポーズしてしまったことになります。
相手の女性も睡眠不足で目を赤くしている私に目薬をくれたりしていたので、相思相愛と早合点していたのかも知れません。「善は急げ」ではありませんが、早速、担当課長に婚約を報告した途端「もう、うちの商品に手をつけたのか!」とそれは厳しいお叱りを受けました。もちろん清廉潔白なのですがそう思われても仕方が無いほどの幼稚さだったのです。
とにかく私たちは翌年の1月にささやかながら赤坂の健保会館で結婚式を挙げました。それから55年、我々夫婦はお陰様で55年一緒に生活してきました。いいこと悪いこと色々な事がありましたが、3人の娘に恵まれ今は幸せです。
先日「ザ・ピーナッツ」の特集番組がオン・エアーされていましたが、我々が結婚した経緯を聞いて直ぐにサインの入った「ジューン・ブライド」のレコードをプレゼントしてくれたことを思い出しました。この45回転のドーナッツ盤は今でも我が家の宝物となっています。宮川泰作曲、岩谷時子作詞の隠れた名曲が私に結婚を即断させてくれたと思っています。
ありがとう!「ジューン・ブライド」