一瞬の静寂

音楽・演劇プロデューサー・橘市郎のブログ。日々思ったことを綴っています。 東宝(株)と契約し、1973年にプロデユーサーに。1981年独立後は、企画制作会社アンクルの代表をつとめ、中野サンプラザからの委嘱で「ロック・ミュージカルハムレット」「原宿物語」「イダマンテ」を、会社解散後は「ファンタステイックス」「ブルーストッキング レデイース」などのミュージカルを制作。 2001年京都芸術劇場の初代企画運営室長。

カテゴリ: プロデューサーより

今週末は春秋座でオペラ「カルメン」が上演されます。
春秋座オペラは平成10年より、
毎年1回行われてきて今回が7作目になります。
歌舞伎劇場の機構を生かした独特な演出と
質の高い歌手による競演が注目されてきました。
年々動員力も増し、今回は残席わずかという状況です。

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注目のカルメン役は、
17日(土)がイタリアから参加してくれた藤井泰子さん
18日(日)が関西出身のプリマドンナ並河寿美さん。
ドン・ホセはオーディションで役を射止めた谷口耕平さん(17日)と
ベテランの角田和弘さん(18日)。
エスカミーリョは藤原歌劇団総監督の折江忠道さん(17日)と
昨年「セヴィリアの理髪師」で好演した鶴川勝也さん(18日)。
ミカエラは和田しほりさん(17日)と柴田紗貴子さん(18日)が演じます。
ほかの役の方も実力者ぞろいで、
充分に稽古を積んだ素晴らしいコーラスの方々と共に
作品のクオリティを高めてくれています。

公演監督を務めてくれている松山郁雄さんとは、
28年前、ミュージカル「イダマンテ」に
コーラスの一員として出演してくれてからのお付き合いです。
私が昭和音楽大学で演奏室長を務めていた時は、
オペラ「愛の妙薬」のドゥルカマーラや
ミュージカル「みどりの天使」の老人役を主演してくれました。

私が昭和音大を定年で辞める1年前に、
オペラを制作する法人を立ち上げたいと
相談を受けたことがあります。
「オペラを制作する法人は大変だと思いますよ」
と言ったのを覚えています。
でも彼は勇敢にもNPO法人ミラマーレ・オペラを立ち上げ、
次々と実績を上げていきました。
持ち前の明るさときちんと約束を守る誠実さが
人を引き付けたのだと思います。

松山さんは、春秋座オペラ作のうち
作を公演監督としてまとめてくれています。
「自分がやりたいものより、お客様に喜んでいただけるものを!」
という心構えはオペラ界に一石を投じたと思います。
今回のオペラも、私と同じ考えを持っている松山さんとだからこそ
実現出来たと感謝しています。
もうすぐ初日を迎えます。
お客様がどんな反応を見せてくださるか、本当に楽しみです。

書き添えますが松山さんはオペラ歌手としては
「松山いくお」で出演しています。
今回は隊長役のズニガ(17日)を片桐直樹(18日)さんと共に演じます。
いろいろなジャンルで鍛えてきた軽妙な演技と
如何にもバスらしい重厚な声で魅了してくれます。
どうぞご注目ください。

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(
春秋座顧問プロデューサー/達人の館代表 橘市郎)

1129日、法然院で「ドロミズ」の作家
マリオ・アンドレア・ヴァッターニさんを囲む会がありました。
ヴァッターニさんは前イタリア総領事で、
日本に滞在した4年間の印象を小説にしたということです。
作家としては最初の作品ですが、
イタリア人が見た日本の魅力や
不思議な日本人の感性を描いたものでした。

実はこの作品の日本語訳を朗読したのが
春秋座オペラでカルメンを演じる藤井泰子さんだったのです。
「こういう会がありますがいらっしゃいますか?」と
声をかけられてスケジュールを見ると、
1週間でこの日だけが空いていました。
法然院の室内には入ったことがないし、
女優としても活躍している藤井さんが
どんな朗読をするのかも興味があったので、
満席の会に特別に入れていただきました。

法然上人の像の前に藤井さん、翻訳者、講師の方々が
居並ぶ風景はめったに見られないものでした。
藤井さんの朗読は声のトーンを押さえ、
作品に描かれた日本の風景を明瞭に伝えてくれました。
声そのものがいいので心地よく、
独特の世界を作っていたのはさすがです。

会終了後「総領事のお宅で、パーティーがありますので、
同行しましょう。あらかじめ了承してもらっていますので」と
お誘いを受けました。
ずうずしいとは思いつつも
藤井さんのご好意に甘えることにしました。
錚々たる方が50人くらい集まっての交流会。
それでなくともパーティーが苦手の私は隅の方にいると、
藤井さんが、ロンバルディ総領事や
イタリア文化会館館長のフォッサーティさん、
作家のヴァッターニさんに紹介してくれました。
名刺交換する間も、いろいろフォローしてくれたのです。
藤井さんのイタリアにおける存在が
如何に大きいかを知らされました。

「カルメン」がイタリア・オペラだったら、
この人たちに絶大な応援をしてもらえただろうなと
いささか残念な気がしました。
でも、その「カルメン」の告知を会の最初にしてくれたのです。
どこへでも出かけて行く大切さを教えてくれた1日でした。
藤井泰子さん、本当にありがとうございました。
(達人の館 代表 橘市郎)


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1118日から20日まで、春秋座で行われた
「立川志の輔落語会」は今年も満席でした。
思えば、全く紹介者無しで出演依頼の手紙を差し上げてから
年が経っているんですね。
駄目もとと思って出した手紙に快く、
出演OKの返事をいただいた時の感激は今でも忘れません。
それでも京都でやるということには師匠も慎重で、
リクエストした「中村仲蔵」ではなく、
通常の落語会を1回公演でのスタートでした。
2年後に「中村仲蔵」が実現したのをきっかけに
2回公演、3回公演と上演回数が増え、
今ではチケットが最も取りにくい人気公演となりました。

私は2年前から顧問プロデューサーという立場ですが、
当初の経緯があり、打ち上げにも声をかけていただいています。
8年間、志の輔師匠と打ち上げの席で対面出来たことは、
この上ない幸せでした。
お酒が入ると高座以上に面白い話が聞けるのです。
といっても師匠は全く乱れることなく、
高尚な笑いを提供してくれます。
私は元来下戸で過去7回は全くしらふで対話していました。
しかし、来年3月で春秋座との契約満了となりますので、
来年の公演の時は関係者としてではなく、
1観客として師匠の落語を聞くことになります。

そう思った途端、感傷も手伝い
「今晩は少しお酒を飲んでみようと決心しました」。
先月指揮者の星出さんと会った時も、
付き合い程度には飲んだのですが、
この日はビールをジョッキー(大)一杯、
紹興酒3杯(お猪口の大)をいただきました。
かつて作家の山口瞳さんが、
「酒を飲まない奴は人生の半分は損をしている」
という意味のことを書かれていましたが、
この日は素直に納得しました。
いつもより饒舌になり、楽しさが倍増したように思います。
真っ赤になっているのはわかりましたが気分は最高でした。
「これからは出来るだけ、付き合うぞ!」
などと思いつつ店を出ました。
この日は良く眠れたのも収穫でした。
志の輔師匠ありがとうございました。
8年目にしてやっと開眼したのも
師匠のムード作りのお陰です。

ところで、仲介者無しで手紙を送り、
快い返事をいただいた方が過去3人いらっしゃいます。
早稲田の大隈講堂でコンサートを引き受けてくれた
名テノールの故五十嵐喜芳先生。
ミュージカル「イダマンテ」の演出をしてくださった
3代目市川猿之助丈。
そして春秋座公演を実現してくれた立川志の輔師匠。
考えてみると皆さん人格者で、相手が無名でも、
ご自分で納得したらOKと言える方なんですね。
お陰さまでこの3人の方とは
長い長いお付合をさせていただきました。
本当にありがたいことです。

「山口瞳さん、損した半分の人生これから取り戻します」。
遅すぎますかねえ。

(達人の館 代表 橘市郎)

 


昨日、パソコンを開いていたら
「栄光のグループサウンズ大全集―CD10巻」の
広告が盛大に載っていました。
ザ・タイガース、ザ・スパイダース、ザ・ワイルドワンズ、
ザ・テンプターズ、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、
ザ・ジャガーズ、寺内タケシとバニーズなど
33
組のグループの曲が200曲入っている、
文字通り大全集が発売されるそうです。

     
          写真:株式会社ユーキャン HPより

「そうです」というのは人事のようですが、

実は20日に私は東京ステーションホテル内の
喫茶店で取材を受けていました。
突然、東音のIさんから電話をいただき、
この大全集を発売するに当たって、グループサウンズ全盛の時に、
日劇ウエスタン・カーニバル」の舞台監督をしていた方に、
舞台裏の話を聞きたいということでした。

確かにその時代、私は20代後半で舞台監督をしておりました。
ウエスタン・カーニバルを担当していたこともまぎれもない事実です。
しかし、それはもう45年以上も前のことです。
ウエスタン・カーニバルを立ち上げた
名演出家の山本紫朗先生は亡くなっているし、
後継者の松尾准光さんも体調がすぐれないとなると
私なのかなと思いつつ、その依頼を引き受けたのです。

「それにしても、京都在住の私から話を聞くということは
京都までいらしてくださるんですか?」と訊ねると
「新幹線代を用意しますので、
出来たら東京でお話を伺えませんでしょうか?」ということです。
I
さんは取材の謝礼の件まで丁寧にお話してくれました。
その誠意ある応対に私は応えることにしました。
45年前の記憶を整理して東京に出かけたのですが、
喫茶店に着くとⅠさんの他にライターのNさん、
発売元のMさんもいらっしゃいます。
これは大ごとだぞと思いながら約時間取材を受けました。

あの時、10月頃発売と聞いたような気がしていましたが、
もう完成したのですね。インタビューの内容はここでは書きませんが、
日本の洋楽史上、センセーショナルな話題を巻き起こした
グループサウンズをこのような全集にまとめられた熱意に敬意を示し、
感謝をしたいと思います。
あの頃、青春を発散していらしたご婦人も
今や60歳を越えられているはずです?
本当に「光陰矢の如し」ですね。

(達人の館 代表  橘市郎)

昨日、春秋座で 「鼓童」の演奏会を聴いてきました。
春秋座でぜひ「鼓童」の演奏会をやりたいと思った時、
間に入ってくれたのが「達人の館」の
ホームページを管理してくれている佐藤和佳子さんでした。
ご主人が「鼓童」の主要メンバーだったんです。
プローデューサーの西村さんを紹介していただき、
話はとんとん拍子に決まりました。
それ以来毎年のように春秋座で公演が行われています。

玉三郎さんが演出を担当されるようになった
最初の年が第1回だったと思います。
従来の鼓童とは一風変わった内容が、賛否両論の感想を産みました。
何かを変えようとする時、いろいろ抵抗があるものです
が、
それこそが変革の宿命なのです。
久しぶりに接した昨日の「鼓童」は
見事に玉三郎さんの意図が生かされていました。

パワフルな音でぐいぐい人を引き付けていた旧来のスタイルから、
強弱や間を大切にして
変化をつけるという試みが結実したように思えました。
視覚的にも照明や衣装で
いくつか雰囲気を変える工夫がなされていました。
ここぞというポイントに男性の肉体美を見せるなど、
かえって効果を挙げていたと思います。
銅鑼やティムパニーといった楽器との融合も新鮮でした。
ピアニッシモからフォルティシモという盛り上げも有効でした。

和太鼓を中心とした演奏は何と言っても音楽なのです。
ただ力ずくで太鼓をたたくのではなく、
時には作曲家の譜面を基に演奏するといったことも必要です。
そういった意味で意欲的な姿勢もうかがえました。
ただ、欲を言えば繰り返しが多く、
あと全体で10分短くすれば、
もっとテンポが出たのではと思いました。

休憩時間に、ばったりプロデューサーの西村さんと出会いましたので、
成果を褒めるのと同時に
「東京オリンピックのオープニングは鼓童がぴったりですね」
というと
「われわれが売り込んでも駄目なので、声高にご喧伝ください」
と言われました。賛成な方は、折りあるごとに
「東京オリンピックのオープニングは鼓童がいい」
と言ってあげましょう。

さあ、いよいよ今週末は
「レ・フレール スペシャルコンサート」
同じ打楽器でも随分違いますが、
盛り上がることにかけては負けません。
20
枚程度の残券、早い者勝ちですよ!
レフレール















(達人の館 代表 橘市郎)  

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