一瞬の静寂

音楽・演劇プロデューサー・橘市郎のブログ。日々思ったことを綴っています。 東宝(株)と契約し、1973年にプロデユーサーに。1981年独立後は、企画制作会社アンクルの代表をつとめ、中野サンプラザからの委嘱で「ロック・ミュージカルハムレット」「原宿物語」「イダマンテ」を、会社解散後は「ファンタステイックス」「ブルーストッキング レデイース」などのミュージカルを制作。 2001年京都芸術劇場の初代企画運営室長。

カテゴリ: エッセイ

高倉健さん、菅原文太さんと
昭和に大活躍した映画俳優が相次いで亡くなられました。
お二人とも仕事でご一緒したこともお話したことも無かったのですが、
寂しい気持ちが、こうも迫ってくるのは何故なのでしょう。
大スターというのは、自分の生きてきた時代の象徴だからなのでしょうか?
シリーズで上演している「江藤ゆう子 昭和を歌う」は
その時代背景をナレーションで紹介しながら、
ヒット曲を聴いていただく構成になっていますが、
映画もその時代を写すように個性ある俳優さんが登場してきました。

高倉さんも菅原さんもやくざ映画からスタートしたのですが、
お二人とも、真面目で、温厚で物静かな方だったようです。
拳銃を撃ちまくったり、刀を振り回すだけではなく、
義理と人情に熱い男を演じるには、
にじみ出てくるやさしさを持っていないと
人を引きつけることが出来なかったのでしょう。

お二人とも平和主義者だったと聞きますが、
特に菅原さんは亡くなる前に
「絶対に戦争をしてはいけない」
「唯一の被爆国である日本が核廃絶を訴えるべきだ」と
遺言のようにおっしゃっていたそうです。
私もまったく同感なので、
惜しい人を亡くしたと残念でなりません。
1週間後に迫った衆議院選挙を前に
もう一度菅原文太さんの思いを胸に刻みたいと思っています。

戦争が始まる時というのは一部の人の愚かな決断がきっかけです。
それは権力を持ちすぎた人の傲慢さが引き金になるのです。
行け行けどんどんとアクセルだけを吹かすような運転は事故の元です。
とにかく暴走傾向を感じ たら、ブレーキを掛けなくてはいけません。
片寄ったバランスを見逃していると、
とんでもない事が起きる危険があります。
菅原さんの遺言を大切にするためにも、
投票を棄権してはいけないと思います。
経済、景気以上に、危うい臭いを感じることが必要なのではないでしょうか。

                              
                               達人の館プロデューサー:橘市郎

京都造形芸術大学の創立者である元理事長徳山詳直先生が
1020日に亡くなられました。

風邪をこじらせて今年の卒業式や入学式に出られなかったのですが、
新年早々には「病院から抜け出してきました」と元気にご挨拶されていたので、
まさかと言う感じで、すぐには信じられませんでした。80歳になられた時も
「もういい加減に引退しろと言う人もいるかもしれないけれど、
まだまだ働かせてください。私は血の最後の一滴まで戦い抜きます」
と、世の中が戦争や不条理に満ちていることを嘆かれ、
また藝術こそが21世紀を救うという持論を力強く述べていらっしゃいました。
また、核こそ現代の悪魔であると福島の事故が起こる以前から
核廃絶を訴え続けていられたことも忘れられません。

常に正論を堂々と語られていた先生は、
教職員からも学生からも尊敬され、また愛されていました。
4月の給料と賞与は直接手渡され、
一人ひとりの労をねぎらい握手をされるのが慣わしでした。
教職員が学生のことを悪く言おうものなら大変だったことでしょう。
「大学は学生のためにあり、教職員は学生がいるから存在できる。
何事も学生第1に考えてほしい」
と常におっしゃっていたからです。
本当に素晴らしい教育者でした。
かと思うと砕けた話をしてみんなをリラックスさせてくれたりもしました。

大学内に日本初の歌舞伎劇場「春秋座」を建ててくれたのも
詳直先生の英断でした。
市川猿翁(3代目猿之助)と意気投合して建ててしまった
と言った方が正しいかもしれません。
熱烈な恋愛の末に生まれてきた子供のように、
春秋座は今すくすくと成長しています。
スケールの大きいお二人がいなかったら、
この時代に歌舞伎劇場など生まれなかったでしょう。
私が京都に来られたのも元をただせばお二人のお陰なのです。

私がふと先生に
「理事長の生い立ちを映画化したら面白いと思いますよ。
この波乱万丈の人生は映画でないと描けません。
でも、この大学には映画監督もいるし、脚本家も美術デザイナーもいます。
みんなが協力すればそんなに難しいこととは思いません。
理事長の役は香川照之さんがぴったりだと思います」と漏らした言葉。
映画界のことは良く分らないからこそ出た思い付きだったのですが、
先生は香川さんを直接口説き
「その時はぜひやらせていただきます」
と言わせてしまったのです。
香川さんの外交辞令かもしれませんが、
私にはこの話がいつか実現すると思えてなりません。
本当は詳直先生がお元気なうちに実現すれば良かったのですが、
これからだっていいじゃないですか。
映画化が実現した時には先生の生き様に多くの人が感動すると信じています。
詳直先生、いろいろとやりがいのある仕事を与えてくださり
ありがとうございました。
ゆっくりお休みになることがなかったと思われる先生。
どうぞ、今は安らかにお眠りください。                    橘市郎

 


昨日、小津安二郎の「東京物語」を久々にDVDで見ました。
昭和28年の作品ですから当然モノクロで
画面もほとんど正方形に近い小さなものでした。
カメラワークに至っては何の変哲もない据え置き状態。
画面の枠内に人間が出たり入ったりするかと思えば、
じっと黙って枠内に座っていたりするのです。
まるで客席から芝居を見ているような感じがかえって新鮮でした。
映画だからカメラがダイナミックに動くという先入観は
間違っていることにやがて気がつくことでしょう。
何と言うことのない日常的な会話のなかに、
登場人物の性格や癖が現れてきます。
アクションもない、ドラマチックな言い合いもない。
ただただ静かに、客観的に登場人物が描かれていくのです。


日々の生活に追われている息子や娘の本音が、
上京した父親と母親にチラチラと向けられるのに対し、
夫を亡くした義理の娘が優しく誠心誠意接します。
この義理の娘を演じるのが原節子。
何と美しい上品な日本語をしゃべる女優でしょう。
これに対しちょっと毒のあるちゃきちゃきな下町言葉を駆使する杉村春子。
朴訥で鷹揚のない言葉のなかに不器用な父親を演じる笠智衆、
おおらかで大地のような愛情を感じさせる東山千栄子の母親。
名優たちをまるで長い手綱を操るように静かに御する小津監督。

さすが欧米人をも虜にした作品だけのことがありました。

熱くならず、冷静に物事を見つめていく
小津安二郎の人間としての大きさが生み出した名作なのでしょうね。
私は、ここに尊敬される日本人の見本を感じました。


安倍首相をはじめとする政治家の皆さん、
ご覧になっているとは思いますが、もう一度ぜひ小津作品を見てください。
日本が平和に貢献するのは軍事力でも経済でもなく、
日本人特有の冷静さと優しさなのです。



月1日は私の74回目の誕生日でした。
皮肉にもこの日に、集団的自衛権行使の閣議決定
が行われました。
自ら戦争をしない国、自ら武器を使わない国、
自ら人殺しをしない国として尊敬を集めていた国が、
普通の国になってしまう恐ろしくも残念な事態になろうとしています。
武力で平和が守られないことは歴史を見ても、現実を見ても明らかです。

沢山の尊い命を失い、原爆を投下された日本は、
憲法第条において不戦の誓いをしました。
それは、たとえアメリカに押し付けられたとしても、
その内容に異存のある人はいなかったと思います。
それほど戦争は残酷であり狂気でした。

人類が平和を勝ち取る最後の手段は、
条しかないと私は思います。
他国へ戦争を仕掛けることをしない国、
他国で軍事行動をしない国が存在することが、
かすかな光だったのです。

確かに第条を守ることは大変な勇気が要ります。
でも、その勇気こそが他国を安心させ、
尊敬の念まで勝ち得ていたのです。
戦争で亡くなる方がいなかったのも、
他国からテロを仕掛けられなかったのもそのお蔭です。
その日本こそが「人と人が殺しあうようなことはやめましょう」と提言し、
世界平和実現のため奔走すべきなのに、
自らその立場を放棄し、「普通の国になる」
というのはもったいないことです。

まさに「ブルータス、お前もか!」です。
武力で平和を実現しようとしても、必ず憎しみと恨みが残り、
悪循環によって永遠に殺し合いが続くのです。
他国を刺激し、反発を買うより、
尊敬されることの方が身を守れるのです。

ところで、安倍首相の暴走を止める方法はないものでしょうか。
数に任せた横暴をとめるには、
国会議員一人ひとりの良心に期待するしかありません。
党利党略や私利私欲に溺れず、
人間として「これはまずいよ」と思ったら、
党を離脱しても国民のために行動してくれる人の存在を信じたいと思います。

かつての後藤田正晴さんのような人、出て来てください。
たとえ党を除籍されたとしても、国民の心配を払拭してくれる人、
国と言わず人類の平和を願っている人は、
無所属でも国民の支持を受けます。
造反という言葉を恐れず正しい判断を期待したいと思います。
国会議員の中にもまだ侍はいるはずです。

プロデューサー 一般社団法人 達人の館  代表 橘市郎

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