一瞬の静寂

音楽・演劇プロデューサー・橘市郎のブログ。日々思ったことを綴っています。 東宝(株)と契約し、1973年にプロデユーサーに。1981年独立後は、企画制作会社アンクルの代表をつとめ、中野サンプラザからの委嘱で「ロック・ミュージカルハムレット」「原宿物語」「イダマンテ」を、会社解散後は「ファンタステイックス」「ブルーストッキング レデイース」などのミュージカルを制作。 2001年京都芸術劇場の初代企画運営室長。

カテゴリ: デュークエイセス 日本の情緒を歌う

本日ご紹介するのは、ベースの槙野義孝さんです。

槇野 義孝(ベース
makino
1936.2.24生 魚座・A型・新潟県出身
愛称/トノサン
仕事にも用心深い慎重さ、物忘れをしない冷静さ、
マイペースを貫く個性派。
普段はよく喋るがステージでは無口、
熱演後も汗をかかない爬虫類的体質など、
多くの不思議を発見できる。
趣味は万年筆、コーラスレコード収集。
車と外国映画の知識は解説者クラス。書道の達人。
激辛に強くすべてにタバスコをふりかけて食べる。
ウーロン茶で夜明けまでもり上がれる。


【コンサートのお知らせ】
結成60周年記念コンサート 
デュークエイセス日本の叙情を歌う


2015年1月24日(土) 京都芸術劇場春秋座 
詳しくはこちらを

本日はセカンド・テナーの吉田一彦さんをご紹介いたします。

吉田 一彦(セカンド・テナー)
yosida
1936.1.25生 水がめ座・O型・大阪府出身
愛称/カイチョー

あたりのやわらかさが身上で、人を傷つけない気配りも又よし、

几帳面かつ豊かな感性の持主、優しい反面、時として

活火山的男っ気を見せる熱血漢でもある。趣味は多彩で、

ゴルフ、スキー、卓球、油絵、日曜大工と好奇心は旺盛。

甘いものが大好物。胃酸過多症。



【コンサートのお知らせ】
結成60周年記念コンサート 
デュークエイセス日本の叙情を歌う


2015年1月24日(土) 京都芸術劇場春秋座 
詳しくはこちらを

達人の館では、来年1月24日(土)に京都劇場春秋座で
「結成60周年記念コンサート 
デュークエイセス日本の叙情を歌う」
コンサートを開催します。
そこで本日は、デュークエイセスのメンバーをご紹介したいと思います。

デュークエイセスは1955年、
黒人霊歌とジャズを得意としたグループとして結成。

スウィング感にあふれた唱法は、
コーラス界第一人者の地位を確立しました。
1600曲以上という幅広いレパートリーを持ち、
『おさななじみ』『女ひとり』『筑波山麓合唱団』
『いい湯だな』『フェニックス・ハネムーン』『ドライボーンズ』
『ジェリコの闘い』など、みなさまお馴染の曲が沢山あります。

まず今回は、メンバーの中から
バリトンでリーダーの谷道夫さんをご紹介いたします。

         


谷 道夫(バリトン・リーダー)
tani
1934.11.8生 さそり座・O型・宮崎県出身
愛称/ミーチャン
硬軟両面をバランスよく保つ。
リーダーの責任上、チームワークを最優先とする姿は御立派。
レパートリー1500曲中、約半数を編曲し、デュークのハーモニーを性格づける。
物忘れの名人で、大変な粗忽者だが憎めないとはメンバーの弁。
この業界における信用は絶大。趣味は酒と旅行。
方向感覚の良さは抜群でどこにいても北を指す磁石を内蔵しているみたい・・・。


次回はセカンド・テナーの
吉田 一彦さんをご紹介いたします。
お楽しみに。


達人の館では平成27年1月24日(土)15時開演で

      結成60周年記念コンサート
    デュークエイセス日本の叙情を歌う


というコンサートを春秋座で開催することになりました。

詳細はまた追ってお知らせいたしますが、
今日はデュークエイセスのメンバー自身から送られてきた
プロフィルをご紹介したいと思います。

リーダーの谷道夫さんは1934年の生まれですから来年で80歳になります。
セカンド・テナーの吉田一彦さんとベースの槙野義孝さんも78歳、
トップ・テナーの大須賀ひできさんは3代目なので58歳とお若いのですが、
人のうち3人が結成以来60年いっしょにやってきたというのも凄いですね。

元気なシニアの活躍の場を作り、
目も耳も肥えたお客様に安心して楽しんでいただきたいという、
達人の館のコンセプトにぴったりのコンサートです。


「京都、大原三千院、恋に疲れた女がひとり・・・・」
のオリジナル曲を持つ
デュークエイセス、
まずはご本人たちの自己紹介をどうぞ!


 D U K E A C E S プロフィール
デュークエイセス<選りすぐられた公爵達>は、
昭和30年8月1日に、アメリカンポップス・黒人霊歌を
歌うことからスタートしたグループです。

そして勉強のため、当時全国に点在していた、
米軍キャンプを歌ってまわる事から始めました。


間もなく、NHK-TVのバラエティ番組「夢であいましょう」の
レギュラー出演者となり、歯切れの良いリズム感は、
デュークエイセスの特色として注目を浴びるようになりました。


昭和42年から5年間にわたっては
「にほんのうたシリーズ」を完成させました。
これは永六輔氏、いずみたく氏と共に全国をまわり、
原則として各県一曲づつ、
旅人の目でとらえた各地のうたを作ったものです。
発表後は、数々の受賞に輝き、
後の御当地ソングブームに火をつけました。
デュークエイセスもこの中からオリジナルヒット曲を多く世に送り出して、
確固たる評価を得ることになりました。

日本の歌は勿論のこと、ジャズ・スタンダードナンバー・
映画音楽・シャンソンそしてカンツォーネまで、
とどまるところを知らぬ程、レパートリーを広げて、
現在1600曲にもなりました。

また、クラシックの組曲に日本語の歌詞をつけたり、
スキャットで器楽曲を歌ったり、新しいことに挑戦する実験精神と、
音楽的完成度をつねに求めてきました。

世代交代とサウンドの変化がめまぐるしいこの世界にあって、
音楽とは、感動することからはじまるという原点を忘れず、
さらに人の声のハーモニーする深い味わいは、
いつの日か熟成、醸造の域に達したいものと願っています。


これからは、長寿グループとして多くの人に
元気と勇気を与えつづけて、いつまでも光る存在としての
デュークエイセスを目指して、努力を重ねてまいります。
red
                       デュークエイセス

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